鈴木大拙の教え


禅からすれば、禅のほうがずっと直接的で、内面的で、もっと現実的でしかも人間的だと言いたい。(あはは、ひとりで言っている(爆))

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疑問文禁止 : 投稿者 もりけん : 2024/09/07 2:41:04

 

コメント

あはは(笑)ひとりで言ってる!ほんとに(笑)そこがイイのかも♪常にスタートラインみたいな。ひとりってある意味地位や権力が及ばない領域かなぁって思います。フロムの愛のようでもある禅‥科学にも‥ひるまない感じです。

↑投稿者 愉利 : 2024/09/07 21:49:01

 

ジジイは…禅の代弁者みたいです(笑)

↑投稿者 こはな : 2024/09/07 10:38:32

 

ジジイは禅も科学もとてもよく理解していて、禅の方が・・と言っているのだなと思いました。もりけんさんから聞くお話も、禅に近いかもって思いました。

↑投稿者 REI : 2024/09/07 10:37:58

 

ジジイはバリバリ禅おしなんだなと思います。禅の方がっと直接的で、内面的で、もっと現実的でしかも人間的でめちゃクチャふかいんだなと思います。

↑投稿者 桃有 : 2024/09/07 9:54:14

 

なんだろう…禅は科学に「すましてんじゃないわよ」って感じです。
科学は、禅ねぇ…となって、ものともしない気がします。直接はともかく、内面的、現実的、人間的は科学の苦手ジャンルで、一人一人微妙に違うその定義と議論とかでずーっと揉めてそうです。禅は本当になんか違うアプローチで水と油なんだなって感じします。

↑投稿者 和佳 : 2024/09/07 8:30:00

 

もりけんさんのコメントが楽しい〜(笑)実在とは何か?。。科学的な行き方だけでなくまだほかに行き方があると。。それがジジイの場合は禅で、禅の行き方はずっともっと私が存在する不思議にせまっていると科学相手にばりばり突っ込んでるのがすごいです。私はだれか。。物理方程式との出会いもジジイの禅との出会いもフロムさんとの出会いも、もりけんさんの問いからすごい世界が広がっているなぁと思いました。私ならきっと一生出会えないような科学や禅や自由からの逃走の世界。。もりけんさんの世界は凡人の私でも入っていけるような、敷居がめちゃ低いです。

↑投稿者 まりん : 2024/09/07 6:26:26

 

でもこれ、なかなか言語化できない。言語化すると嘘くさくなるような。瞬間、瞬間だし。しかし科学だと遠方の人にもバチっと数値で届く

↑投稿者 なんしぃ : 2024/09/07 6:16:05

 

禅だと何するかわからないですが、科学と同じにちゃんと対象を対象と見て、科学なら測定する道具でナンタラカンタラして数字を知って終わりなのかも。禅はそれにとどまらず、もっと関わっていくのだろうなぁと思いました。

↑投稿者 えり : 2024/09/07 5:30:37

 

禅からすれば、禅のほうがずっと直接的で、内面的で、もっと現実的でしかも人間的だと言いたいと。。。
さすが大拙さん。。すごい禅推しだあ。。と思いました。。。熱いです。。

↑投稿者 あかり : 2024/09/07 3:32:26

 

以下は「亀レス」からの抜粋

 

無我を説いても、ハラはへる‥(笑)時がくれば‥とか。なんとなく自分を信じる‥と近いのかなぁ‥と思います。身体をもって生まれているってことはすでに無我を一歩でてるのかもしれないです。ほんとうは。

↑投稿者 愉利 : 2024/11/04 21:13:42

 

はい。。自己とはあなた。今ここでただひとり、説法を聞いているあなた。。座って聞いているだけでも五感はすべて動いている‥生命そのもの‥で‥光輝にあふれ、歴然として…体験している…って思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/11/03 21:59:59

 

臨済録って記録に残っている‥雄弁で徹底的ってボスっぽい(笑)です。ジジイ紹介の臨済ボスの人思想‥サトリに迫っている‥原本かもしれないのだと思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/11/03 21:59:50

 

仏陀から一歩進んでいるのが禅の真理‥起死回生をこえて(笑)ピチピチ生きている感じ‥人生みたいに過程があるのだなぁって思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/10/10 21:51:36

 

わぁ、すごいです。。個性を伸ばせとかよく聞きます。 他の人との違いを探して、違っているところを強く意識していくのだと思いました。どんどん強くなっていくと、権力への欲望が頭をもたげ始めるのだと。。ガーンときます。

↑投稿者 アン : 2024/09/28 8:16:12

 

はい。とってもシンプル‥だけど大事なこと‥生きることそのものが意味でもある‥めちゃ裾野広って思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/09/21 21:55:28

 

なんかケンちゃんロッコウの卦の解説みたい(笑)いうこと無し‥はい。とってもいい感じ♪です。変える必要も否定するとこもないジャン(笑)って思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/09/13 21:10:13

 

科学の主観は、禅の主観と定義に差がある‥中立ではいられないのだなぁって思います。言葉ひとつとってみても‥なんだかとっても限定的な感じがしてきます。

↑投稿者 愉利 : 2024/09/10 21:29:53

 

あはは、大拙さんの禅への惚れ込み具合が伺い知れるコメントですね(笑)同時に彼の人間存在の問いにたいする想いも感じられますね。

↑投稿者 まるこ : 2024/09/08 12:58:29

 

あはは(笑)すごい教育!言葉で表すものではないのかも。師匠と弟子さんとこうしてしゃべるのも行為‥呼びかけと応答で、主観的とか客観的とかどうでもいい感じ‥まさに流動的‥ごはんを食べるたびに必ずあるし、食べる限りついてくる‥あの世でもあるのかも‥でも積み上げでもなさそう‥1回1回完結するけど、続く‥考えてるとフシギだなぁって思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/08/30 15:22:07

 

生きた生命のなかに住んでいる!ならば客観的とか主観的とかどうでもいい(笑)必死に厳格に分けなくていいんだなーって思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/08/25 21:36:31

 

つかみどころのない感じ‥人格という言葉もだいぶいいかげんに使ってキタかも‥流動的というのはそうかも(笑)生命は流動‥って思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/08/20 21:08:06

 

西洋のこと知ってるかと言えば、リアルに西洋の知人もいないし…イメージで喋ってるなと思いました。
そして、西洋といえば…もりけんさんは1人でモンロー研究所に行って、西洋人しかいない中にポツンだったのだと思います。みんな霊魂とか本当の自分に興味があるからそこにきたんじゃないかなと思うけど、なんかこう…通じない、もどかしい感じがすごかったんじゃないかなと思います。
大拙さんも、日本人が洋行するのが珍しい時代に西洋に行って、きっと西洋の宗教にもワクワクしてたと思うけど…なんじゃこりゃ!と思ったのではないかと思いました。

↑投稿者 和佳 : 2024/08/14 7:01:12

 

なんかモヤモヤするなーと思って考えてて、フロムさんの、みんなは孤独は嫌だなんだー!を思い出しました。
調和が仲良しグループだとすると、敵は相反して孤独なものなんじゃないかと思います。そして愛っていうのは、中庸の時には身近な孤独の人に思いやりや想像力となって働くけど、敵まで関係性が離れれば熱狂でも暴力でもよくて、本質は相手を孤独にさせないって言う強い力や決意なのかなって思います。
…もりけんさんのコメント読んでると、愛はよそでヤッて、って感じがします。特に敵レベルを愛するとなると強い決意とか使命感や忍耐力、それからいいふうに解釈する力が必要だと思うし、あっ!そういうの全然ないですからーー!ってことかなと思いました。

↑投稿者 和佳 : 2024/08/08 10:15:23

 

!!(笑)たしかに‥すごい問い‥です。ナントカ的人格とかそもそもあるのかなぁ‥(爆)調和させるって調和っぽくない響きかもって思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/08/06 13:20:55

 

>絶対的主体性領域とはすなわち自己の棲家(すみか)である。”棲(す)む”というのも厳密に言えば当たらぬ。なぜかと言えば、棲むというのも自己の静止した姿のみを指摘するからである。自己とは絶えざる流動であり変化である。(すんでない(笑))

絶対的主体性領域って何かわからなかったのですが、無意識を見ている自分がいるところかなあと今朝思いました。

↑投稿者 えり : 2024/07/22 7:36:59

 

あはは(笑)ジジイの原文ママだとスゴイ覚悟で困難を乗りこえる必要がありそうな‥道具をすてなくていいと思うけど(笑)‥で、ちょっと近づける気がする(笑)川下りだって、カヌーじゃなくてタイヤでいいジャン‥みたいな。

↑投稿者 愉利 : 2024/07/19 21:47:25

 

主観で行くって恐いと思いました。科学的根拠なし。。自分で責任を取らなきゃいけない。。孤独になってしまうと思いました。 不思議研究所、めちゃくちゃスゴイです。

↑投稿者 アン : 2024/07/16 8:25:04

 

グオオ‥自分の内面も自ら疎外する方向へハンドルをきろうとする‥はぁ‥なんかすごいです。。ほんとに遠心的なんだ‥って思います。科学の進歩‥進めば進むほどコワくなって進めなくなるかも‥

↑投稿者 愉利 : 2024/07/08 21:19:56

 

じーっと見てたら、「見るものと見られるもの」って…能動と受動見たいなら対比で「意識のあるやつと無いやつ」みたいな感じだなと思いました。
もしそうだと考えると、ここで大拙さんが言ってる、科学で扱う「物」というのは、意識がないもののことで…もしかして意識がないとか、動物みたいに薄いとか(たぶんそう思ってるかなと)、またはそういう部分として見る(意識できる)ようになった途端に扱える立場なのかなと思いました。
例えば…西洋では科学の立場で「肝臓」という臓器に対して、それ自体には意識がない=モノとしてみることができて研究できるようになるのかなと思います。一方、東洋だと「肝」はイライラを司っていたりして、確かに意識はないかもですが…意識に影響与えてくる何かよなと思いました。科学の客観ってもしかして奥底に。「意識あるなしが大事」ってのが隠れてるのかなと思いました。

↑投稿者 和佳 : 2024/07/03 10:27:26

 

なんで鏡…と思いました。
色々考えるうちに、鏡がなければ私は私の姿を知らないんだろうなと思いました。子供のときに鏡を見たドキドキが蘇ってきました。自分の顔ってどんなか知らなかったし、私が笑うと顔も笑ってそのうちに変顔して(させて?)その人と息ぴったり?楽しく遊んだような経験です。もしも鏡が顔を映さなくなったら、水鏡とか金属の反射面とかはあるけど、やっぱり自分の姿形をよく知らなかったろうなと思います。
今は鏡を見てもいつもの自分(最近は年取ったなーと思うけど)映ってるとしか思わないけど、それって心が曇ってるのかもと思います。
自分の未知の姿に合うのは自由なことで、そこに私を見て心が動かなくなることが不自由なことなのかもと思いました。
しかし鏡はそんなにあちこちにないのよと思ったけど…元は私の姿すら見知らぬ人だったのだからして、人という人は全部そういう意味じゃ変わらんのかもと思いました。…最近考えすぎよなと思います。

↑投稿者 和佳 : 2024/06/18 11:12:38

 

平常心が我が物顔〜〜(笑)心の洗濯に、トライ‥試行錯誤の連続へ一歩踏みだす勇気‥めちゃ大事だなぁ‥って思います。なんだか度胸も愛嬌もいる感じ(笑)です。

↑投稿者 愉利 : 2024/06/14 22:00:31

 

>鈴木大拙の教え 2024/06/12

不生ってのがわからないと思ってたけど、もしかしてこれも「本当の自分」のことかも、と思いました。でも字が謎で秘密で、それって生まれてくることのない奴みたいな。でも生まれた私はここにいる、ここにいる私は生まれてる…となると…私に生まれてもよかつたのにそうならなかったなにか全部が不生かなと。極端に言えば私以外…宇宙全部がそうかもと思います。
…私にとっては、私を知るということは、始まりを探す親探しににてると思ってたし、それには超えられない壁があります。それがいつのまにか横から尋常じゃない量の自分に生まれても良かったような何かが現れて、今、まさに私といるような…えー!どういうことって感じです。兄弟は親みたいに偉くはないし(笑)なんか朝起きたらそこに遊び相手がいたような、平常心がワクワクドキドキの毎日な気がします。(ケンカも凄そう)

↑投稿者 和佳 : 2024/06/13 12:41:22

 

えー(笑)知恵の実は煩悩!変換力すごすぎ。。バイブル的神話(爆)のこともシッカリ調査研究してるみたい‥無意識の邪魔をする働きがあることってなんかたくさん…あるなぁって思います。そう感じなくても‥

↑投稿者 愉利 : 2024/06/07 22:12:24

 

おおお、知恵の実は無意識の邪魔してる。。スゴイです(笑)意識バリバリではダメなのだなと思いました。

↑投稿者 アン : 2024/06/06 8:25:04

 

自我中心的な関心‥人間がみせる本能的な態度ってコレなのかなぁ‥って思います。無意識的な行動じゃなくて無意識のなかに意識の社会のあるべき‥を投影しようという願望みたいな。。無意識は下心がニガテなのかも‥って思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/05/31 21:18:51

 

知性はケガレ!!(笑)なんか自己チューになるんだ‥原因は性格とかじゃない(爆)面白すぎる‥生理的な働きと知性の働きは混ざるもの‥社会が個人と同化するみたいに‥分離するのにも知性が関係するのかなぁ‥って思います

↑投稿者 愉利 : 2024/05/31 21:15:43

 

あう、感覚に言い訳をつける(笑)知性で介入する。。内面に視点が移動する感じ‥経験の性質がかわるのかなぁ‥なんかなんでもうまくできないとダメとか、ニガテがあることはよくないとか…失敗はナイ!とか(爆)価値観の世界にはいっていく…って思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/05/24 21:55:13

 

『今』だけではない‥ああ、ほんとに‥過去も未来も現在もすべて‥あるんだなぁ‥って思います。刹那的には生きられない(笑)感じ‥生まれ変わりの村の人生はパノラマっていう証言や‥孫さんの蘇生とか‥浮かんできます。。

↑投稿者 愉利 : 2024/05/10 21:55:55

 

>鈴木大拙の教え19

赤子や動物が反射的にできるってフシギ(笑)な気も‥反論はもっとも、スラスラでてきて、説得力が(爆)‥メチャ意識的だからなのかも‥こだわるというか抵抗してる感じも‥禅の師匠に‥お弟子さんはかなり前のめり(笑)って思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/05/03 21:18:01

 

>鈴木大拙の教え16

意識は進化の過程で無意識から目覚めたもの、一種飛躍的なものだと。。突然変異でも、自然から生まれてきたものだから、自然から切り離されたものじゃないのだなと思いました。飛躍的だから、自然との繋がりが薄いというか優位になるというか、自分スゴイ!みたいに感じて、意識がエラくなってしまうのかなと思いました。ジジイすごいです。。 ジジイもフロムもうーんうーんと考えます。もりけんさんから少しずつ教えてもらうのがめちゃいいです。たけし君畑はホッとひと息つけます(笑)

↑投稿者 アン : 2024/04/24 8:18:22

 

>鈴木大拙の教え15

無意識を意識する‥特殊な訓練(笑)‥メチャ興味深いデス。でも訓練すると誰でも‥なところがあるのかなぁ‥って‥途方もなく果てしなく無関係‥ではなくなるような感じがしてキマス。。不思議研究所を通ってくる情報‥や、追体験がそうかなぁ‥なんて思います♪

↑投稿者 愉利 : 2024/04/22 22:09:04

 

>鈴木大拙の教え14

あまりに近しい‥無意識ってそんなにもそばにある‥だからこそ知ろうと思えなかったりする‥近すぎるのと遠すぎるのは似ているのかも‥真逆っポイのに。分離するとはじめて知りたい‥気持ちとともに問いが生まれてくるのかなぁ‥ドキドキも‥いっしょに‥って思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/04/21 22:17:51

 

>鈴木大拙の教え14

目が目を見れない、おお、確かにです。自分のことは自分が一番わからないとか、よく聞くなと思いました。無意識はめちゃ近いのだなと思いました。。

↑投稿者 アン : 2024/04/18 5:47:12

 

>鈴木大拙の教え12

ホンノチョットしたことの中にあるのだなと。。カタカナが軽く感じて、イイなと思いました(笑)

↑投稿者 アン : 2024/04/13 12:01:25

 

>鈴木大拙の教え12

あはは、現代人の生活メッタ斬り(笑)‥でもホンノチョットしたこと‥カタカナ的なフンイキ‥で変わる(笑)‥タタリの改善みたく(爆)リアクションてふだんの反応がでちゃう感じだから‥その日常を好奇心旺盛で体験していくと‥ほんとにオートマ的にピチピチするのかも‥って思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/04/12 22:12:35

 

>鈴木大拙の教え10

芸術家がインスピレーションを感じる時、無限の可能性にふれることでそれが精彩あるものになるんだなと思いました。
大拙さんはご飯を食べてる時に、宇宙を貫通する無意識にふれてると言ってたのに似てるなと思いました。
普通人が使う五官って…視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のことで、五体は体で…合わせると感じる体で…ご飯を食べるとき、それらを同時に全部つかってるなと思いました。感覚同時が複合的で総合的でエネルギーがありリズムがあり…かつほぼ万人受け(ほとんどの人が毎日求めてリピートして食べてる)…それはなんか、感覚が合わさって、感動が起きる(感覚に押し出されるように心が動く)そのみなもとに似てる気がします。それは芸術家が追っかけてる原型みたいだし、私たちが不意に感動できるのは、毎日のご飯(誰も芸術関係と思ってない)に秘密があったのかと…(驚)
…ガチガチの緊張は不幸の元だったけど、飲食は感動の元だったのかと…。そこに、もりけんさんのコメントが入ってきて、肉体も大事かもってのじんわりと染みました。unknownに対応してくれてるのは…意識ではなく肉体なのだと思いました。

↑投稿者 和佳 : 2024/04/06 8:16:17

 

>鈴木大拙の教え8

大拙さんの教えは謎っぽく、一日中文章と格闘して歯が立たず、そして、ふっともりけんさんの書いた言葉通りかもと思いました。
解像度を落として分かりそうな単語を拾って考えると、意識って自己、自分の中から出てくるんだなと思いました。中があるなら多分、自分という感覚には範囲があり、その範囲を制約と捉えた場合、何か苦しいんじゃないかなと思いました。なんかこう…私の範囲が「有るがまま」ではない、自己実現が阻まれていると感じるような
…でもそこで突然、文章の大拙さんに、「悩み」ってそうやって、ガッチガチに緊張してること!と言われた気がしました。(はい、読んでもわからなくて変な力入りまくってます。)悩み、不安、恐怖というと得体がしれないけど、「緊張」と言われると、なんか馴染みのあいつです。意識が緊張した自分に「なんかの制約受けてるから範囲がある。だから苦しいんだ!苦しいー!」と騒ぐ性質があるとしたら…全く安らげず、返って緊張を促進してしまう気がします。そして過敏、過緊張が続けば、何に対応しての緊張かわからなくなり、やがて不安が恐怖が膨れ上がり、悩みという得体がしれないかたまりになる気がします。
もりけんさんの書いてた「意識からの解放かも…」は大拙さんの文章においてもなんかすごく大事なテーマな気がします。

↑投稿者 和佳 : 2024/03/31 7:49:11

 

>鈴木大拙の教え7

心の作用は無意識と同種のものなんだなと思いました。前の方の教えでは、無意識はunknownに消えたり、自覚すれば返ったりするものだったなと思います。それって出たり入ったりになんかにてるなと思いました。
大拙さんはそれを交渉、もりけんさんは連絡と表現してて、もりけんさんの方がなんか楽しそうだと思いました。
心と無意識が同種で行き来してるなら、心と思ったら無意識で、無意識と思ったら心だったみたいなな感じなのかなと思いました。
それを自覚するってどんなとこなんだろと思ったのですが、時々キーワードとして出る「在るがまま」にしておくってことなのかなと思いました。…ずっと、「有る」と「在る」の違いがわからんと思ってたのですが、この教えを読んで「有りのまま」は心がいつもここに有るかを意識してる感じで「在るがまま」は出入りも行く先も自由、なんなら意識も見張るのやめてほとんど無意識みたいな感じがしました。

↑投稿者 和佳 : 2024/03/27 9:06:32

 

>鈴木大拙の教え6

コンプレックスがなくなる‥ラクになる(笑)のかなぁって思います。孤独の克服のステップなのかも‥意識で克服しなくても、無意識が自動的に整えてくれる。。気持ちいいかもって思います。

↑投稿者 愉利 : 2024/03/25 0:36:52

 

>鈴木大拙の教え5

宇宙的無意識‥消え去ってしまっているのを、いっかいでもキャッチすると‥なんかリフレインするようになるのかなぁって思います。瞑想で視力がよくなることとか‥無意識と3次元の関係がミツに(笑)

↑投稿者 愉利 : 2024/03/22 22:04:45

 

>鈴木大拙の教え4

宇宙を通貫する無意識と、じかに触れ合い続けているのだなと思いました。豊かで、奥深いのが、ずっと。。ああ、なんか気持ち良さそうだなと思いました(笑) 無意識にも種類があるのかもと。おお、無意識、一緒くたにしてました。

↑投稿者 アン : 2024/03/19 19:59:05

 

>鈴木大拙の教え2

真理の把握するのに、ものを在りのままにしておくって(驚愕)…なんか…一般的に「もの」について何かしら解明したかったら、あれこれなんかしらの状況において実験したり働きかけ変化をしるんじゃないかと。なんもしないで把握するってそれこそなんか「悟る」としか言いようがないです。(驚愕)
そういう時のその人の状態は…人が開かれるってなんか…なにが閉まってたかわかんないけど、気が付かないでしまってたとこが開かれるのかなと思いました。そして反応的になってしまうのがなんかすごいです。真理って「これがそれだ!」って合致とか会得するのがむずかいと思うんだけど…なんか真理に反応する感じかなと思いました。感受的な程度おいて可能…えー(驚愕)真理があるならキッチリカッキリ、数字や式や図形やなんか具体的に掴みたい!気がするのですが、感受的な程度…きゅんきゅん<ドキドキみたいなことだろうかと。えー!なんかギャルっぽい気がします。大拙氏はなんか高僧で静かでそして同時に若くてめっちゃギャルみたいな。イメージ混乱でわけがわからなくなってきました。
もりけんさんが注目したことは「在りのまま」なんだなと思いました。なんか…真理の把握の「真理」の感受の程度と関係してる気がしました。「有る」にはドキドキしないけど「在る」にはズキューンみたいな。有るがままは人っぽいし、在るがままはモノっぽいなと思いました

↑投稿者 和佳 : 2024/03/16 20:54:13

 

>鈴木大拙の教え1

宇宙を貫通する無意識ってなんやろと思うのですが、なんかこうお腹すいて食事を前にして食べてじめた時って、…なんか多分、意識がちょっと飛んでるよなと思いました。食いしん坊の自分だけかもですが。かと言って意識がなくなって食に暴走しまくってるわけでもなく、すごく微妙な塩梅の瞬間の描写なのかなと思いました。食事の瞬間に自分がどんなか観察したいけど、やっぱお腹すいてて食べ始める瞬間は、肉体とガッツリ手を組んで合体してしまいそこから脱出は難しそう。…どうやっても観察できなくなりそう。大拙さんはそういう時、これは豊富で玄妙だなぁと思ってるのかと思いました。…そういう時、豊富なものってなんやろと思うのですが、もしそれが食欲なら、悟りには豊富な欲があったほうが良くて、それは…なんか…よくできた仕組みなのかもと思いました。使い方わからないけど。そして使い方でわかろうとするのは一番遠ざかる行為な気もするけど。そしてやっぱり生命の内部とか宇宙を貫通とか直に触れ合うとか、あちこち謎だらけコメントだなと思います。なんかジジイさんの本質、謎多き宇宙みたいです。

↑投稿者 和佳 : 2024/03/16 18:27:50

 

>鈴木大拙の教え1

なんか本質のはじめに見た目が出てきておもしろいなぁって思います。精神世界をぶっちぎる(笑)無意識とじかに触れあうのに外見が関係する!宇宙を貫通する無意識と‥生命の内部の豊富や玄妙であること‥あるがままって‥ホントにあるがまま(笑)って感じ‥

↑投稿者 愉利 : 2024/03/15 22:18:35

 

>鈴木大拙の教え1

お腹すいたーとなれば、普通の人も飯を食うし、「彼」も飯を食うのだなと思いました。
自然から出てきたものは違いがないから見分けはつかないのだなと。
そのあとの「しかし」からがなんかドキドキやなと思いました。なぜかちょっとエッチに思います。
…生命の内部で宇宙を貫通する無意識と触れ合ってる、それが豊富で玄妙(趣深い)と言う様子を思い描いて想像すると、なんかちょっと一口ごとに宇宙にズキューンと射抜かれて合体しながらビリビリきてピクピクみたいな。側から見たら美味しく味わってるのかと思ったら、おじさん、頬染めて達していました…みたいな。
あれっ…なんか従来の王道のイメージ(私の持ってるのですが)と違う気が。「悟り」というと食べないで異性も無視して我慢して自分を痛めつけた果てに見える地平線みたいな、みんなそこ行って幸せになろう的なイメージだったような。なんか…鈴木大拙は語り口柔かなイメージでしたが、もしかして先達にそんなわけないじゃん、それどころかあんたバカァ(アスカ風)って言ってるみたいな気がしてきました。そして普通の人(私)に教えようとかもないような…えっと…優しい言い方ですごい戦闘力高い言葉なんじゃないかなと思いました。

↑投稿者 和佳 : 2024/03/15 12:57:40

 

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