言葉が経験の代わりをしてはならない。そのことを人はなかなか気づかない。
(19歳の僕が再度「今の周りの大学生のようだ」とメモ(笑))
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疑問文禁止 : 投稿者 もりけん : 2024/09/19 2:26:19
しかし色々考えるうちに、19の私もメインストリートをあるく学生さんと変わらんのだと思いました。宗教のある大学に行ったし、宗教学ってあった。
それをどう思ってたかというと、神も仏もどっか概念的で、聖人の生い立ちは伝記的…。現代人にとっては、いるのか、いないのか…になってしまう。でも今思えば、そうやって言葉で伝えるから、信じる信じないの土俵に持ち込まれ、ほとんどの人が距離置いて静観して見るのがスマートなやり方になるんじゃないかと思います。
なんか…フロムさんの言葉を読んでると…そうじゃないんだと思います。例えば上智なら私にとっては十字架が花のようにくり抜かれたデザインから外を見た時の迫ってくるような気持ちがそれで、自分の大学ならヤクザみたいな宗教学の先生が無茶苦茶言ってくるのがその体現だったかもで…神って信じる信じないじゃなくて…「いる」でもない…「ある」んだなと思いました。
言葉は神との経験の代わりにはならず、19の森田くん…神との経験真っ最中なのだと思いました。(ピンクレディの歌の「私たちこれからいいところ〜♩」が頭の中をながれました)
投稿者 和佳 : 2024/09/19 16:24:15
投稿者 まるこ : 2024/09/19 15:25:01
投稿者 REI : 2024/09/19 10:28:19
投稿者 桃有 : 2024/09/19 10:00:12
投稿者 なんしぃ : 2024/09/19 6:42:13
投稿者 まりん : 2024/09/19 6:30:16
投稿者 こはな : 2024/09/19 6:13:02
投稿者 アン : 2024/09/19 5:53:17
19歳の森田君が再度「今の周りの大学生のようだ」とメモを。。
はい。。言葉・・は経験の代わりには、ならないなあ。。と思いました。。
投稿者 あかり : 2024/09/19 5:31:26
投稿者 えり : 2024/09/19 5:15:41
以下は「亀レス」からの抜粋
投稿者 愉利 : 2024/11/04 21:13:11
投稿者 まるこ : 2024/10/11 13:30:42
投稿者 愉利 : 2024/10/04 21:40:33
投稿者 愉利 : 2024/10/02 21:22:46
投稿者 愉利 : 2024/09/21 21:55:47
投稿者 愉利 : 2024/09/17 21:11:37
投稿者 愉利 : 2024/09/06 21:26:43
投稿者 愉利 : 2024/08/30 15:23:32
投稿者 愉利 : 2024/08/25 21:36:14
投稿者 愉利 : 2024/08/06 13:20:37
投稿者 愉利 : 2024/08/02 21:14:54
全社会からの追放とは、人の集団で何かの理由がまかり通って全体で一部の人を人扱いしないことにすることかなと思いました。その生き物が人ではなければ、動植物みたいなもので、天敵か害獣か…どんなに良くても益獣みたいな扱いになるんじゃないかなとおもいます。そしてなんならヒトの買ってる犬猫の方が大事にされるかもと思います。人は人ではないものに冷淡で残虐なところがあります。人の集団からの社会的追放はとても恐ろしいことが起きると思います。
投稿者 和佳 : 2024/07/24 10:25:04
投稿者 愉利 : 2024/07/19 21:46:37
我々は・・社会的な思考の型と相容れない意欲に気づくことを抑圧するだけでなく、”ヒューマニズム的良心”も抑圧しようとすると。。
我々は集団だと思いました。。
社会も集団。。
そして、相入れない意欲は個。。
もりけんさんは、戦争が起これば・・、あるいは改革派の極地とか・・、戦争が無くならない原因のひとつは、人間のこの性質かもと。。
そうだろうなあと思います。。
私は集団が嫌いです。
集団に良心はなく、個を排除しようとする力が働いていると思います。
でも仲間はずれになりたくない性質があるから、どうすればいいかワカラナイと。。
もりけんさんの独り言で、フロムを好きになれたのは、すでに余生に入っていたからと。。
余生は、社会的な死だと思いました。
だから、三次元はどこでもいい。。
だから三次元の何にもしがみつかず、運命のままに流されて、生き方なんかどうでもよく、運命を探究できているんだと思いました。
ちょっとでも社会的に死んだら、個が出てきて、余生を遊べると思いました。
投稿者 あかり : 2024/07/18 4:43:09
自分というものまたは自分達についての研究にすごく難しさがあるのはそういうとこなのだなと思いました。何をもってして今ここにいる「自分」述べたことになるのかがすごく難しいと思いました。
投稿者 和佳 : 2024/07/15 2:40:15
投稿者 愉利 : 2024/07/12 20:56:28
誰かに会ったときに、その人が禁止してる衝動を勘づいても見ぬ振りをしてあげるのが関係性!ということかなとおもいました。その人が気狂いになろうとしてるとか、マゾ的な人なら指摘はかえってご褒美ですが…みんな実は勝手に目がいっちゃうエロ、グロ、バイオレンス、ナンセンス、アンチ、噂話、心霊みたいなことは…お互い紳士淑女のマナーでお一人でどうぞ、言わぬが花よが暗黙の了解な⭐︎みたいな。バレないと思ってるYouTubeとかの履歴が本当の自分で…はぁはぁ…あっはっはー絶対晒せないデス。
やだもー森田くん!と青年の背中をバシバシしてしまいそうです。(全然違うかもですいません)19の私ならあのアレが最大の関心時なのに、そんなの考えてないヨみたいな顔してたし、それが自由からにげることとはまったく思ってなかったと思います。いやー今も出せない(そんな話じゃないかもですが)
投稿者 和佳 : 2024/06/28 13:42:25
投稿者 まるこ : 2024/06/15 8:20:54
投稿者 愉利 : 2024/06/07 22:15:29
投稿者 愉利 : 2024/05/26 22:18:23
愛情とか…外国を真似て掴もうとすると「私のかわいい人」「こねこちゃん」「愛してる」とかなにかはじめに永続的感、固定感があり、なんか微妙さを失い冗談みたいに感じて絶対言えない。
その代わり桜とか虫の声とか花火とか…季節のことがなんかちょうどいい話し相手な気がします。季節で終わってしまう関係性、移り変わりを見てるような時「儚いね」「切ないね」「また来年」みたいなことを捉えて、なんなら好きな人とそれを共有して今一緒にいることを感じるみたいな。永続性のなさが永遠であるみたいな…。日本人は外国の人に対して四季がまるで日本にしかないみたいに言ってしまうことがあるって言われるけど(ちょっと考えりゃ四季を表す単語なんてあちこちにあるのわかるんだけど)それでも言いたいのは多分…私たちの精神性とか情感のことで、移り変わり繰り返すようなことを言ってる気がします。…日本語って学習難しいって言われるのは(笑)そういう曖昧や微妙さが半端ない豊かさだからかもと思いました。
投稿者 和佳 : 2024/05/26 7:30:36
投稿者 愉利 : 2024/05/19 22:46:41
フロムは意識についてを難しく表現しているけど、もりけんさんは意識は言い訳だと、ひと言でめっちゃわかりやすく表現しているのがすごいと思いました。
投稿者 REI : 2024/05/06 21:22:31
なんかほんとにフロムさんのいうことは謎だなと。意識的なとき価値のあるものが得られるってのが飲み込めなくて、唸ってました。
なんかこう…日本人なら…「意識シチャッテ…」っていう時そんないいもんじゃ無いようなと。
…誰かを意識した途端、顔が赤くなるのが止まらなかったり汗かいたり。なんか意識できないところが止まらなくなるっていう事態を招いて。好きとか嫌いとかがなんかバレたり。…そこには価値ってなぁ…みたいな。どっちかというと使いにくいものな気がします
だからこそ西洋が大事にしてる意識(理性?)ってなんかちょっと頼れる付き合い方が有るんかなと思って憧れがあるのかもとおもいます。
それで興味を持って聞くのだけど、説明聞いてもなんかこう…うーんとなってしまうなとおもいました。価値あるものが現れるって…割と自分はアホみたいなことばかり見えてくるので(そういうの価値を感じてんのかもだけど)うーん…です。
投稿者 和佳 : 2024/05/02 14:19:42
‥なんていうか意識・無意識というだけでも、意識がエラい(笑)という偏見?が前提になっている‥もしそうでないなら‥ギモンが浮かんできて、不思議研究所にたどり着いて(笑)もりけんさんから、ジジイやフロムの講義を受けることになってるのかな♪って思います。
投稿者 愉利 : 2024/04/26 22:05:37
気づける感情や欲望や判断等の内部経験、意識はほんの少しのような気がしました。無意識はホンモト、、本当にそうだなと思いました。 ホンモトなのになかなか掴めない。。無意識、たくさんあるように思いました。当たり前すぎるからなのか。。見えないし人と比べることができないから気づけないのかなと思いました。
投稿者 アン : 2024/04/23 6:43:19
単純で明確であるようにみえること‥も問いの対象に‥既知の現実も好奇心旺盛だと興味深い未知に‥つながるみたいって思います。
投稿者 愉利 : 2024/04/22 22:08:40
忘れろと言われると忘れられなくなる気がします。そして続いてなんか神には意志があるかないか真の意志とは問題みたいなのにもぶち当たってる気がします。でも禅は、神の概念がなく…フロムさんに言わせると…それは自分が意志を放棄してることなのかとおもいました。
…なんかこう…色々と捻れて書いてあるようで唸ってましたが…みんな「意志」の取り扱いに困ってるんじゃないかなと思えてきました。
実は意識が意志(複合的)にまでなった時、そいつはどう考えていいかわかんない人類共通の暴れん坊なので、もっと荒ぶる神に壮大な意志を持たせて その概念に調伏させてきたと言うか。
禅は…まさかの…腹が減ったら飯というのはもしかして意志が弱い人ってことかも。でもそこに意志をお化けみたいにして、神の概念を作らせてしまわない秘密があったのかもとおもいました。
投稿者 和佳 : 2024/04/17 6:59:02
はぁー、すごいビシッと(笑)ジジイももりけんさんもキリコミ鋭すぎで‥反応することの大事さを体験してる感じです。時を刻むだけ‥なかなか下位の問いをもたない‥人間らしさを手放している(爆)のかもって思います。
投稿者 愉利 : 2024/04/14 22:09:22
宗教は、正しさとか正しくないとか。。存在することの不思議とか、わからなさは考えないかもと思いました。 威信、生産など、宗教も、、答えを見出して、そこに向かって頑張ることで安心してるのかもと、自分も含めて思いました。
投稿者 アン : 2024/04/13 11:52:39
いつも忙しい(笑)‥くしてないと孤独にたえられない感じ(爆)宗教とか食べる前にお祈りとか儀式とかねばならないがいっぱいあってヒマをなくすにはバッチリかも‥です。現代には宗教の変わり身みたいなことがいっぱいで、なんとなく‥じゃなく実はガチガチにハマっている状態なのかも‥。問いが降りてくるか(笑)で変わってくるのかなぁって思います。
投稿者 愉利 : 2024/04/12 22:12:08
自然を超越することって…それを究極の関心事にするって、神になろうとする人なのかな。。と思いました。
投稿者 こはな : 2024/04/08 6:44:11
矛盾もあるがまま(笑)問いの根源…な感じ…自然のなかにありながら、超越する…どっちもオーケーみたい。シロクロはっきりさせなくてもいい…どっちにしても反応することが大事なんだなぁって思います。
投稿者 愉利 : 2024/04/05 22:19:36
「創造的」とは何かを作り出すことだと思ってました。でもこの文章からは私、他人存在してる全てのものに「答える」ということで、言い換えると「反応すること」なのかと思いました。
「創造的」というのは、何かしら新しいものを意識して作り出そうという試みではなく、現実の問題に心身が反応することなのかなとおもいました。…全てのものの現実に反応する…のは無理なんではと思いましたが、もしそれができたら本当に新しい境地を「創造」したと思われます。…それって無理と思いましたが、そういえば大拙さんが、宇宙を貫通する無意識と触れ合うって言ってたなと思いました。東洋の禅僧と、西洋の研究者が、何か同じようなことを示唆してるのだなと思いました。
…全部のものに反応するのは無理そうだけど、一つでも多くに反応して自分を開いていこうとするかは創造「的」なんじゃないかなと思いました。
投稿者 和佳 : 2024/03/25 7:07:23
喜びや悲しみに対する十分な能力を持つこと。。ギャーと泣いてたのに急にニコーッと笑ったり、赤ちゃんみたいだなと思いました。生まれ続ける感じかなと思いました。
投稿者 アン : 2024/03/23 12:17:05
人は一生かかって生まれる‥フロムの名言(笑)なのだなぁ。。フロムの教えってフロムの視点そのもの‥って思います。
投稿者 愉利 : 2024/03/22 22:04:56
情感は喜怒哀楽とかが代表的だけど、フロムは「喜び」「悲しみ」の二つを挙げてるんだなと思いました。喜びや悲しみに対する能力」ってやっぱ謎だとおもいました。喜びや悲しみは、強弱があり、特に強いときは操縦不能、制御不能になり何かの能力を発揮するどころではく心がやられてしまうし、逆に弱すぎ、なさすぎでも心が枯れて萎れてしまう気がします。
でもなんだか、いつもそうもならないような。…腹筋崩壊も涙腺決壊もだいたいはマイルドに自動的に起こってます。なんか…意識できないところに調節する能力みたいなのが備わってるんかなと思いましたが、同時にこちら側からこの場面はまずい涙を堪えよう、微笑みを隠そうと意識することもできて…なんかうっすら双方向のような微妙な通信具合というか…フロムさんのいうこともなんか秘密の気配がしてドキドキするなと思いました。
普通人は半覚醒してるってのも…謎めいてます。
投稿者 和佳 : 2024/03/22 15:24:39
なんか難しいなと思って何回も考えてます。
まず、すやすや寝てたのが目が覚めた、みたいなことなのかなとおもいました。その時どうしようもなく自動的に起床が始まり、起きてはきたものの、寝ぼけてるので意識はまだ外見てるだけみたいな超受け身状態なのかと思いました。
私は、悟りとは苦行とか修行の果てに意識を飛ばして黙らすとかなのかなと思ってたので、意識して意識をなくすという、こんがらがって矛盾した無理をしなくても朝イチに意識が出て来れないターンがあったのか!と衝撃を受けました。
投稿者 和佳 : 2024/01/09 12:54:05
無意識があることに気づいて、それが意識できることで、目覚める。。抑圧と疎外から解放されるのかなと思いました。それはサトリだと。。
川下りを思い出しました。。
流れに身を委ねていること。。水の音、鳥の声が聞こえてきて、気持ちよくて。。抗う必要がないこと。。
投稿者 あかり : 2024/01/09 3:40:38
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