まさ吉
DVDブック特別付録2〜時空は何のために存在しているか
もりけんさんが書かれているように、あちら(=時空)では感覚がないのだと思いました。
すべてが融合されているところでは自他の境もなければ未来も過去もすべてあります。
そこでアイソレーションタンク=孤独なタンクとなるのですが、アイソレーションは「隔離された」という意味もあるので、外側の世界と完璧に「隔離・遮断」されてるので、その中は必然的に「孤独」になると解釈されます。
外界の刺激から隔離されることでそのなかには自分の内側=個しかないはずです。
だから、そこには何かあるはずです。
しかし、何もありません。
人間の五感を刺激するものが遮断されてるので感じようがありません。
だから個は外の刺激を感じて初めて存在していることを知る。
それをそのまま時空にあてはめて考えたら、、、
やはり3次元の人間のサンプルをおいて刺激を受けて、それが時空に繋がり、時空自身を知っていく。。。
時空は無限の可能性がある。
自分は誰で何者か、それを探し回る。
外側の刺激で自分自身で知っていく。
でも、ここで間違うと、自分自身の可能性を狭めていくことにも繋がるとHPでの書きこみがありました。 個を確立すればするほどそれにがちがちにこだわると他の可能性を狭めてると。 個を確立しながらも、まだまだ全体に繋がってさえいれば、無限の可能性と繋がっている。 それこそが時空とつながって本来の可能性を取り戻すことだという書き込みを思いました。
時空自身も自分を探してる。。。 だから一緒に考える、実践を通して。
セミナーで磁気反応が出た豪快な方は、これから無限の可能性に向かってまい進されているのだと思いました。 彼女はすでに繋がっていると思います。
2004/11/06 23:26:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

まさ吉
L.B.さん
>けれども、わたしは探さない、という風になれたとき、
>私は私の外側へと向かっている、という風にいえるかもしれません。
>そのときはじめて、わたしは、自分のことに精一杯、という個の状態から
>全体へと、下位へと向かう覚悟が決まるのではないかと思います。
 
自分の中でもやもやしてたものが、ここでなんだかしっくりきました。
連日の書き込みは、少なくとも、今まで以上に自分の深いところまで切り込んで書き込んだものだと思いました。
それは、そのまま下位へと向かう覚悟(あくまで覚悟です向かっているかは分かりません。)であったのかと、認識しました。
書き込みありがとうございました。
2004/11/06 23:11:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

L.B.
「DVDブック特別付録2」感想

セミナーで発芽した豆を食べた当事者がHPに残るための条件の一つとして
「特別付録2の感想を入れる」という項目があります。
今日、それをやろうと思って色々なことを考えました。
つまり、昨晩から今朝まで私は
「HPに残る、残らない」などという個人的な事情よりも
もっともっと下位の問いにフォーカスしようと努力をしたわけです。

「食べた、食べない」の世界から「全体の業」へと「視点移動」してみると
まるで執行猶予で久しぶりに娑婆の空気に触れたかのような開放感があり
体中をエネルギーが駆け回ってしばらくは興奮が納まりませんでした。

しかし、もう少しすると、どうもうまくいかなくなってきました。
なにを考えても絵空事に感じられるのです。
それは、思考の領域から「豆の世界」だけを無理に締め出そうとしていたからだと思います。

脳の片側に「全体の業の世界」を置き、もう片側に「豆の世界」を置いて、
しばらく「全体の業」だけに考えを集中させるつもりでいたのですが、
なにかウソっぽく感じられる・・

問い、エネルギー、好奇心・・といったキーワードが漠然と浮かんでくるだけで
これといった取っ掛かりが見つからない・・
すこし真剣に思考を下位に沈潜させていこうとすると、
すぐに豆に突き当たりそうになるので
あわててそれを避けて、別な方角へ思考を潜らせる・・
するとまた豆につきあたりそうになる・・方向転換・・
それをしばらく繰り返した後、
どうも、豆を離れてなにかを考えるというのは無理なようだ、とわかってきました。

「食べた、食べない」でだいぶ疲労していたので、
しばらくそこから離れてエネルギーを回復して、
あらためて明日から「食べた、食べない」に戻ろうと思っていたのに、
結局は、豆の世界と全体の業は「私にとって」切り離して考えられない世界だということがわかってきただけでした。

「切り離して考えられない」と言っているのは、
決して「豆の命」の真の意味について考えることこそが
やがて「全体の業」について考えることにつながっていくのだ、などという、
実にうんざりするほど凡庸でつまらない意味で言っているのではありません。

「豆の命」は、少なくとも今の私にとって
「豆の世界」の平面上にある問題だと思われます。
いや、より正確には、問題とすら言えないでしょう。
むしろ、こう言い換えるべきかもしれません。
「命の真の意味」というのは、
「孫さんが芽を出させた豆とは一体何なのか?」という問いへの
答えにしかならない、と。

ですから、いつももりけんさんが言われているとおり、
答えは問いを超えないのであって、
「豆の命の意味」という答えについていくら考えつめて行っても、
思考が、豆のレベルから一歩たりとも下位レベルへと移行していくことはないのだと。

今日、サブメインをROMし続けていてなんとなくそういう風に思えてきました。
だからこそ、わたしは、豆の命について考えることから一時的に思考を切り離して、
全体の業へと沈潜していこうと試みたのです。

しかし、うまく切り離すことができませんでした。
豆のレベルを飛ばして、いきなり全体の業のレベルへ至るというのは無理だとわかりました。
にもかかわらず「豆の命の真の意味」は、下位レベルへ降りていく階段ではありませんでした。

一体、豆のどこから下位へと降りていけばいいのだろう・・
これが、今日浮かんだ問いです。

そして、実はこの問いこそが、下位へと降りていく階段でした。

というわけで、豆と全体は、ちょっと味なつながり方をしていることがわかってきたので
きょうはそれについて書いてみるつもりです。
考えつめる以外に能のない私にとっては、このようにして思考を削り込んでいくことが、
豆の魂を供養する方法につながっていくのではないか、と信じている面もあります。

* * *

さて・・
「命の意味」とは「孫さんの豆とは一体何なのか」という問いの答えにしかならない、
と、さきほど書きました。

つまり、豆を問うてしまえば、豆についての答えしか得られないわけで、
そこでいくらあがいても、豆より上位のレベルへしか向かうことはできません。

だとすれば、豆のどこから下位へ降りていけばいいのでしょうか。
それは、豆を答えにしてしまうことだと思います。

「豆とは、○○である」という思考のベクトルでは、上位方向にしか向かえない。
(「豆とは真の生命である」・・などなど)

その代わりに
「○○とは、豆である」という思考のベクトルを持つことができれば
下位へ向かえると思うのです。

つまり、豆が答えになってしまうような問いを探せばいいということです。
その「問いを見つけようとする」思考の動きこそが
わたしの意識を豆から下位レベルへと引き降ろしてくれる鍵になるはずです。
その思考のベクトルの動きを今からやってみたいと思います。
うまくやれれば、下位へ向かうという感じを表現できるかもしれません。

「○○とは、豆である」という思考の流れを維持するために、
まず、「豆とは・・」という形で浮かんでくるあらゆる思考の流れを拒否してみることにします。

わたしたちは、あまりにもこの形の思考の流れに慣れてしまっているので
これは、なかなか難しいことですが、
具体的には、とにかく、豆にまつわってつい浮かんできてしまうあらゆる連想・・
これらが、とりもなおさず、豆とは・・という答えになってしまいますので
そのあらゆる連想の動きを拒否してみます。

すると、わかってくることが一つあります。
豆とは・・とは、という連想の働きをすべてやめてしまうと、
一般的な意味での思考は、すべて停止してしまうのです。

後に残されるのは、ひたすら豆が豆であることから一切離れていかないこと。
「豆が豆である」という命題すら、「豆は○○である」に当てはまってしまいますから
文章としてこれを思い浮かべた時点で、
それは答えを見つける運動にはまってしまっていることになります。

あとに残されるのは、ひたすら豆を、ただそれだけのものとして
見つめて、受け入れることしかありません。
ひたすら豆そのものに近づいていくことしかありません。

これは、「私の意識」が豆との境目にむかってひたすら近づいていく動きでしかなくて、
一般的な意味では、すでに思考とすら言えない運動です。

このあたりでなんとか粘りづつけていると、
しばらくして、なぜこれほど私は豆にこだわるのか、
という新たな問いが生まれてきました。

答えは、今、避けて通れないものだから、です。
芽を食べてしまうという取り返しのつかない行為をしてしまった私にとって、
孫さんの豆を避けて通ることができないから、
だからわたしは今、これほど豆にこだわりつづけているのです。

ここでようやく、思考が逆転します。
私にとって、今、最も避けて通れないものは何か?
その答えが、孫さんの豆である、という風に。

「避けて通れないものとは、豆である」

冒頭に書いたとおり、
わたしが下位の問いについて考えようとすると、すぐに現れてきて
思考の邪魔をしたのが、この豆でした。

そもそも
豆が邪魔になって下位の問いについて考えることができないので
なんとか、豆から下位レベルへの階段を探そうとしたからこそ、
「○○は豆である」などという不自然な思考をやろうとしたのでした。

ということは、
わたしが「答から問いを探す」という不自然な思考の動きをおこなうときは、いつでも、
その問いは、かならず、わたしにとって下位の問いへむかう際の邪魔になるもの
すなわち、そのとき最も切実に直面しているものを答としてもっているはずだということになります。

今はたまたま、「○○は豆である」という風になりましたが、
ほかの場合はいくらでも考えることができます。

例えば、もし、わたしが今、金の工面に切実に困っていて、
それが下位の問いをもつことの妨げになっている場合であったとすれば、
わたしは、「○○とは、金である」という命題の問いを探していたはずです。

もし、わたしが今、女性問題で悩んでいたならば、
わたしは、「○○とは、女性である」という命題を思い浮かべて問いを探したはずです。

もしわたしが今、性欲に悩んでいたとすれば、
わたしはきっと「○○とは、性欲である」という命題の問いを探したはずです。

今の私にとっては、孫さんの豆がなによりも切実な問題だったので
たまたま「○○は、豆である」という命題になってしまっただけであって、
つまり、○○の部分は、いつでも誰でも、かならず「最も避けて通れないもの」
「切実なもの」になる、ということになるのではないでしょうか。

だとすれば、下位へ向かうベクトルとは、言い換えると
「最も切実に直面しているものについての答を探さない」
ということになりはしないでしょうか。

最も切実に直面している問題とは、最も答がほしい問題のはずです。
そして、最も答が欲しい問題に答を探そうとして躍起になっている状態こそが、
幸せの追求といわれている行動だと思われます。
だからこそ、幸せの追求は上位へしかわれわれを導いてくれないのではないでしょうか。

豆とはなにか、金とはなにか、女性とはなにか、性とはなにか、
今、この瞬間にもっとも関心を寄せている事柄について答を探しはじめた時点で
われわれは決して下位へは向かえなくなるのではないでしょうか。

山に登り始めた時点で、わたしたちは無意識に山頂という答を求めているのではないか・・
もりけんさんが書いていた「山腹にとどまる」という道教の教えの意味は、
今、一番関心が向いていることについての答を求めない、ということなのではないか。

答を求めない、とは、仮説ということと同じだと思います。
という風に考えていけば、
仮説とは、もっとも切実な事柄について強いて答をさがなさい態度、ということになります。

再び、現在のわたしにひきつけて考えるなら、
孫さんの豆を食べてしまったことは切実なことです。
このことの意味はなんだったのか・・について答を探してしまえば下位の問いへは向かえない。

わたしは食べてしまったんだということを受け入れてしまうこと。
ただ、どうしようもないこととして、決して逃げるのでもなく、
答は見つからないだろう、という風に受け入れる
もちろん、それではすまない・・誰も納得しない・・
けれども、わたしは探さない、という風になれたとき、
私は私の外側へと向かっている、という風にいえるかもしれません。

そのときはじめて、わたしは、自分のことに精一杯、という個の状態から
全体へと、下位へと向かう覚悟が決まるのではないかと思います。

「目標を持って邁進する人は、大変なエゴを発生させています。」(p.59)

これが、私を含む「当事者たち」の現在の状態だと思います。

「・・宇宙が誕生したとき、宇宙は何を考えるでしょうか。
何のために存在しているのか、と自分自身の存在について煩悶するでしょうか。
いきなり理由を探しまわるでしょうか。」(p.50)

時空は、けっして現在の私のように、理由を探し回ってはいないのではないかと思います。

「人が生まれて人生を経験していく過程は、まさに外側の刺激によって自分自身を知っていく過程でもあると思います。
つまり宇宙の誕生と発展は、私の誕生と発展と同じように、まずは自分自身を知っていく過程である、ということができるのではないでしょうか」(pp. 50-51)

私は、自分の価値を探し回ったおかげで孫さんの豆を食べてしまいました。
ここでさらに、豆を食べたことの意味を探し回れば、さらに上位へと向かうだけのような気がします。

もちろん、食べてしまった罪が消えるわけではなく、忘れるわけでも逃げるわけでもなく
ただ、わたしは、楽になろうとすることをあきらめようとしているだけです。
そうしてようやく、全体について考え始めることができそうな気がするからです。
楽になることはあきらめて、全体について考えることで、豆の供養ができるのではないか、
こうやって考えを投稿していくことが、それにつながっていくのではないか・・

少し寝たら、また、豆の問題に帰ります。
2004/11/06 07:17:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

まさ吉
DVDブック特別付録2〜時空そのものである私。
外側に開放するといっても、しがらみが多すぎます。
意識で思うだけでOKと言われても、ぼくは難しいです。
いや、この自分で難しいと思っているところそのものが経験測からきているのかもしれません。
時空に波動を出して共振させれば融合状態に入ると書かれていますが、それこそが、まさに瞑想状態の入静〜潜在意識に繋がるとぼくは考えています。 それが常にできてくると、日常のなかでもすぐに繋がりやすくなると思います。
まずは、いい瞑想状態に入れることが必修条件だと思いました。
しかし一旦瞑想状態で入静〜潜在意識、つまり時空にダイレクトにアクセスして初めて、思いは実現すると思います。
だからこそ、未来を含めたすべての情報が手に入ると思うのです。 そこまできて初めて、時空に広がった私そのものということが体感できるのだと思いました。
時空すべてでは、すべての魂がひとつです。 そこでは現世で、3次元的に姿を変えた魂はひとつであり、同じだと思います。 そこまで体感できるようにはやはり瞑想で繋がるのが大切なんだなと思いました。
セミナーのことがかぶってきますが、瞑想でもリラックスということが重要なポイントでした。
いかにリラックスできるか、いかに自分の心のまわりに絡まりついたものをほぐしていけるか、しがらみを振りほどいていけるか、大切だと思いました。
その先にさらに運命は決まっているけども、運命を変えて進化していくそのものというくだりのところでは、やはり時空も自分自身を追及している表れなのではないかと感じるようになりました。 しかし自分でこの思考までにたどり着けません。 時空も自分自身を追及していると。 
それは人類史上初めての経験なのかもしれないと思いました。 
やはり歴史的転換期にさしかかっているのを強く感じます。
2004/11/05 23:40:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

まさ吉
DVDブック特別付録2
アイソレーションタンクで自分の内側に何もないというのはぼくにとっては衝撃でした。
内観というのがありますが、その自分の中もあると思っていたからです。
それが何もないんですからどうしようもありません。
外からしか自己を確立できないんです。 そして外側から世界を変える。
3次元的な感想ですが、やはり住む環境によって変わるというのをここ1年の環境の変化で思いました。
2004/11/05 01:28:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

こち
DVDブック特別付録2
>アイソレーションタンクの体験を通して、外側からの刺激に反応して
いるのが「私」であるという仮説が生まれました。

私にとって、とてもなじみやすいフレーズでした。
人間は本来、何もない個体であって、外側からの刺激に反応しているのは
「個体ではない存在としての私」と受け止めて見ました。

私にとって「個体でない存在の私」は、外側の認識にも、繋がる思いが
するからです。この部分が、人との繋がりや、孫さんセミナー報告から
学んだ「豆に愛をそそぐ」事にも繋がるようにも感じました。

そして、その事が結果として個体の活性化をもたらすのではと感じます。
つまり「いきいき感」や「若返り」に繋がっているとも想像します。

一方、外側と繋がるということを、個の側から知ろうとする時、それは
、つらく厳しい側面しか見れないのではとの思いがします。真の美しさや
愛は個から脱した時、発せられるもののように想像するからです。
うわべを飾った、キレイ事の言葉など、もってのほかの次元と思います。

孤独のあまり自らの命を絶つ人が居る事が毎日のように報道されます。
孤独とは、それだけでは何もない個への執着と思います時、DVDブック
の登場が、私には、はかり知れない大きさで迫ってきます。

2004/11/04 22:14:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

F.OGAWA
DVDブック見させていただきました
ネットで頼もうと思っていたDVDですが、ふらっと寄った本屋で目につくところに展示されていましたので、さっそく購入させていただきました。ホームページで始めて知った森田さんがビックになっていくのが、うれしいです。5年前この人只者ではないと感じた自分の直感が正しかったと、ひとり悦にはいっております。
急にこのDVD見た(初めて講演を聴く)人には難解あるいは消化不能になりそうなトークですが、森田ファンには不思議研究のエッセンスが集約されていてよく理解できます。「運命が未来から来る」・「全体の業」・「快を求める」といった森田哲学は勉強になります。生きるってほんとは悩み苦しむ必要なくて楽に生きていけるんだというメッセージは私の人生を徐々に変えていってます。これからは私もいつも運のよい状態をテーマ(目指してはいけないですね)にし、より楽しくいきます。ますますのご活躍を祈念いたします。
それから、DVD見てるだけで、かなりパワー感じるんですが何か仕掛けしてるんですか?
2004/11/03 23:17:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

まぜ
見て読んで感じたこと。
初めて動くもりけんさんを拝見させていただきました(笑)
私も幼心に「私は誰?」「なんで私はここにいるの?」という問いをもっていましたが
「自由になるには?」という問いはありませんでした。
「自由」を考えることも無かったとおもいます。
今の自分=本当の自分(時空)であるを知って
知ること
受け入れること
外応
まず私は知ることからやりなおさなければと思いました。
「あ〜知ってる、知ってる」では受け入れられないからです。
ちゃんと知り、ちゃんと受け入れる。
それを何度も繰り返さないとすぐ忘れてしまいそうだと思いました。
外応という言葉は本を読んで初めて知った言葉でしたが、
以前外応と思えることを体験したことがありました。
問いを放ったすぐ後に私の目に飛び込んできた風景がありました。
それを見た時私は自分の放った問いは大丈夫だと確信したのでした。
不思議な感覚でしたが、なぜかそう思ったのです。
「意味付け」では無い感覚。
なので外応についてはストンと解りました。

よくすべては繋がっている。と言われていますが、
今の自分=本当の自分(時空)だと
受け入れたとき(天人合一)本当にすべては繋がっていると
感じられるのではないかと思いました。
まだまだ今のそのままの自分を受け入れることができていないので、
個を持ったまま時空とつながるなど想像すら出来ないのですが
問いを持ち続け、瞑想を続けていくことからはじまるのかも。
付録2にもりけんさんが書かれているように
問いを発していると、その人の人生そのものが答えと変わります。
とあるように発しつづけていこうとおもいます。
発しつづけると外に反応が現れ、私の人生が変わっていく。
問いの質、問いの深さが私の人生。
時空(本当の自分)と自問自答
対等でもう誰のせいにもできない。
知ること、受け入れることはとても恐いことですが、
こうしてもりけんさんを知ったことは私の人生を変えているように思えます。
恐いけど楽しみです。
ここにきて少しだけ「自由」を考えることが出来ました。


2004/11/03 15:01:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

やまと
DVDも何度も拝見しました
文字で読むよりも映像だとかなりわかりやすいですね。
そして何より素敵な外応が楽しみで
何度も見てしまいます。
最後はわかりきっているのにワインで乾杯を
必ずやってしまう私はかなりの
お酒好きなのでしょうか?
見るたび愉快な気持ちになります。
2004/10/31 23:54:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

ちーち
やっと全部みました
とぎれとぎれにしか見れてませんでしたが、
やっと最後まで見れました。
やはり分かったつもりになってただけの
所があり、これは何回も見なくてはと
改めて思いました。
それにしても、もりけんさんのお肌のきれいさに
見とれてしまいました♪
2004/10/31 18:58:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

chisaka
久しぶりに観てしまいました
「ここはどこ? 私は誰? 自由になるには?」の図を見て、丘がケツに見えるのはメインコーナーの影響かなと思った。

何度見ても(4回目)DVDに盛り込まれている情報はすごいことばかりです。
煮豆から芽が出る
ゆで卵を生卵にする
命の玉をあの世から買ってくる
なんてのはやっぱりぶっ飛んでます。素直に信じろよと言うのがムリかもしれません。
モンロー研究所の幽体離脱はまだ素直に信じることはできる範囲のことですが青りんごを赤りんごにするなんて・・手品の世界ですねこれはもう。
と、こんなレベルで彷徨いモンモン状態で浮いている私です。

それでも何とか少しずつ、もりけんさんの言う「時空」について語っていることが理解できつつあるようです(弱気)。
愉しそうに講演をしているもりけんさんの姿が印象的でした。
2004/10/31 17:40:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

にゃんぱら
〜感想文〜
こんなに何度も見たくなる読みたくなる物は私にとっては
珍しいものです。
HP等で拝見させて頂いた内容も更に理解が深まりました。
そしてこのDVDブック、見れば見るほど読めば読むほど
自分がもりけんさんの仮説を頭でしか理解していないことを
思い知らされている近頃です。

ハンドルを手放すこと、宮本武蔵にたとえられた外応、私=時空、
女王様の足元で手足を縛られている図もオケツだして崖っぷちから
飛び降りる図もそうだし、全体の業もしかり。

うまく表現出来ませんが、細胞レベルで理解したいというか、いや、
感じたいといったほうがぴったりです。
こうして感覚が鈍っているのは平和に生きてきた後遺症かもしれません・・
・・って、言い訳・・・。
これを完全に感じられたら凄そうだーと思うのですが。

頭の良いもりけんさんがこの仮説を机上の理論で作り上げたものだったら
きっと頭の理解で満足できたのかもしれません。
が、もっと感じたいと思ってしまうのはやはり非凡な調査の上の仮説で
あるからだと思います。
これからも度々DVDブック見させて頂きます。
2004/10/30 23:03:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

きゃろ
再度DVDブックを見てます・・
昨日からまたふと思い立ってDVDを見ています。
買った当初より私の理解も多少は進んでいるかな、という感じで
何回見ても新しい気付きがあり、そして何度でも楽しむ事が出来ます。
まず構成がすごくいい!
それにタイトルが『見るだけで運命が変わる!』ですもんね、
嘘でも見てみようって気になるじゃないですか。
もりけんさんの流れるようなイントロダクションから最初の方に孫さん、
口から光線、神坂さん、モンロー研と次から次への不思議現象の数々が、
がっちり私のハートを掴みます。
初心者程ここでのインパクトは大ですね。(私もまだまだ新参者です〜)
そして六爻占術の運命変更の秘密へと誘います・・・
運命は決まっている、そして運命を変える亊もできるという
常識のだーいどんでん返し〜〜!
その後の個と時空の合一に至る結論付けまでが、まるで一本の映画を見ているかのように繋がっています。おまけに最後には素敵な外応のプレゼントまで・・・
いたれりつくせりですね、まったく。
起・承・転・結のセオリーにきっちり沿った構成は、見ている人すべてに理解しやすく
とても安心感があります。
だから何度でも見直すことができるし、理解を深められると思うのです。
DVDというメディアにしたのも、良かったと思います。
チャプターがあるので、見たい所にすぐアクセスできるし、、。
ただやはり、もりけんさんのこのDVDのエッセンスは特別付録2に収約されていると思います。私はDVDを見るより特別付録2の方をよく読んでいます。
まだ、本当に理解しているのか疑問ではありますが、これを読むと、HPでの書き込みを読むのと同じくらい、自分の脳が活発に動く感じがします。
時空の存在を、私の存在理由を『知りたい』と本気で思ってしまいます。

今回あらためて見て感じた事は、もりけんさんが何度も『これは仮説ですよ』
と講演中におっしゃってる亊でした。
自分に溺れず、自分さえもばっさり斬れる態度、渋いです。
2004/10/30 21:01:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

はりし
時空、人間
いろいろ考えさせられました。
時空について人間について・・・
外の刺激に対して、機械的に反応し自分以外のものに縛れている?
私は誰状態です(笑)
素敵な外応のプレゼントありがとうございました。
2004/10/28 21:46:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

華苑
>時空と自分そっくりです
いいですよね〜〜^^こういう台詞をさらっ・・といい続けていくと
本当にいつかそうなる気がします。
2004/10/28 16:45:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

やまと
わかりやすかったです
4月の新刊本を読んだときに理解不足で何のことかなと
疑問に思ったことやよくわからなかったことが多かったですが 
DVDブックは具体的でわかりやすかったです。
私としては とくに時空の概念やなぜ、何のために存在しているか
どんなスタンスかというのが以前より見えてきました。
ここまで書いて下さって初めて そうだったのかと思うことが多いです。
時空と自分そっくりです。
というよりそのものだと思いました。
自分はちっぽけな肉体を持つ人間体だけど
広大な時空とつながって・・・境目はない。
少しずれているかもしれませんが
そんな意識を持つことができ 悠々とした気持ちになり
日々の些細なことも気にならなくなりそうです。
思い煩うことの多い日々を過ごしていますが
このDVDブックを宝物にして大きな気持ちで
暮らしてゆきたいです。






2004/10/28 15:58:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

毛蟹
はじめまして
DVD見ました。すごく良かったです。
もりけんさんの根っこからくる優しさがあふれているような
DVDから人柄を拝見したような気がします。
自分の正直な感想ですが、言われている内容は、精神世界の精神論や波動の原理に似ているように思えました。なんか方向性ってゆうか道のりは違うけど、たどり着くところ〔理論〕は同じような気もします。時空と一体、外応とか・・
もりけんさんが精神論を科学的な視点〔不思議現象〕から解明してくれているような気がします。
失礼だったらすみません
2004/10/23 04:21:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

MILKY
本日、本屋で初ご対面!
今日始めて森田さんの本に出会ったものです。探していた本が見つからなくてジロジロ…
棚に正面置きで森田さんがニッコリ!タイトルがまた「見るだけで…」なんだろう??
手に取る。中をみる。探していた本を探しに歩き出す。探した本が見つかった。棚に戻した。
森田さんの所へ戻る。もう一度手にとる。そのままレジへ…。
私も小さい時から子ども大百科事典に出ていた挿絵が気になったまま今に至っていました。
それは宇宙について述べている所で、子供が星のイラストが書いてある青い風船を膨らませて
いる写真が載っていました。「宇宙はこの風船のように膨らんでいます。」私は疑問に思いました。じゃあこの風船の膨らんでいる外側はどうなってるの?夢がかなうならそこへ行ってみたと
大人になっても思い巡らしているくらいでした。そしてその時はやってきました。
私は何年か前その疑問の答えを体験する事ができました。頭を東に向けて寝静まった12時頃だったと思います。グワングワン遠くの方から耳鳴りのような頭を締め付けられるような感覚が起こり、それが最高潮になった瞬間私はものすごいスピードで上昇していました。気が付いてみると
街が小さくなり、次に衛生写真から地球をみるような光景が広がってものすごいスピードで飛んでいました。周りの星が線のように見えていて、それはそれはものすごい星の数で美しい宇宙が広がっていました。感動している自分に気づくと自分は光の先端になっているようでした。
感覚はありませんでした。遠くに人工的な物体もみえました。状況になれてきて私は思い出しました。自分が宇宙の果てに行ってみたいと強く望んでいた事を…
早速意を決して更なるスピードで宇宙の果て目指して飛び続けました。
行っても行っても果てには到着しない事に気づいた瞬間、またものすごいスピードで引っ張られて戻ってゆきました。気が付くと布団の中にいました。でも体の感覚がありません。
肉体と空気の境目がない感覚のまま…あ!子供!どこかへ置いてきちゃった!どうしよう!
私はさっき一緒に眠った3歳の子供を腕枕して寝ていたので、宇宙へ置いてきちゃったのかと
真面目に焦りました。え!っとみると子供が横で私の腕枕で寝ています…でも私の体の感覚は
子供の重さも感じていませんでした。ほっと安心したとたん、子供の頭の重さを腕に感じ始めました。DVDを見終えて、今日この本と出逢う未来はもうすでに決まっていたと悟りました。
そして早速占術の無料資料も依頼しました。
私の未来はワクワクでとっても楽しいものになりました♪
出逢えた事に心から感謝を込めて…
ありがとうございました♪
2004/10/22 01:54:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

キム
台風23号
昨日早々と仕事場を後にして、DVD鑑賞デイと
することにしました。
*DVDブック
表紙の装丁はグレーにシロのビックバーン(?)の
絵に薄くラメのかかった、シック&シンプルな物。
それとは対照的に中は、カラフルです。色のシャワー。
1章節づつ1〜2ページにまとまっているので、
とっても読みやすい上に当日使用されたスライドも
綺麗に配置されのっていますから、
見て覚えきれなかったのの再確認になりました。
(私は特に41番が嬉しかったです。)
*DVD
会場にいたので、まあ重複かなと思って見始めましたが、
もりけんさんがアップですし、スライドもアップだと
やっぱり違います。特に会場では”口から光線をはいたりする
女性”のスライドはインパクトが無かったのですが、
(会場は暗かったので、バックが黒のスライドだと
良く見えなかったのだと思います。)
DVDだと驚きます。
欲を言うと映画のDVDのように、
「メイキング」や「りんごちゃんから一言」のような
おまけが入っていると なお嬉しかったかなと
思いました。
2004/10/21 13:35:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

りりか
DVD
やっと手に入りました 本やテープで 知っていた事も DVDで改めて見ると 理解が もっと深まりました。特に自分を肯定するという事が 難しくないと思いました
2004/10/20 13:54:00
DVDブック「見るだけで運命が変わる!」

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