「外」のところで、この間フロムさんが言ってた、「神を時間空間の外に置くのは人間の思考」を思い出しました。 全てが平等なら…神とて平等なところがあり(こんなん書いていいかアワワですがでも、臨在さんの頃なら古代神とかまだ熱い頃だったかなって)その手足(創造、造化)を自分のもんにしようとてはダメ。そこに仏(慈悲)を求めるってさ… 「名目」のところは…ここもフロムさんの「無意識を意識に転換させることは適切な言葉ない」を思い出します。目覚めたものなんて、適切じゃない言葉だけどとりあえず使ってるだけってことかなと。何かを被せたり込めたりするのには無理があるのも知れないなと。なんか今日は…なんで私たちは神と仏が絶対的聖人君子みたいに造作して、そうに違いないって思い始めたのかなって思い始めました。
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