私の疑問に応えてくださって有難うございました。 私は、もりけん様のようなレベルをまだ経験したことがありませんので、「名前も無く,キーボードも打たず,メールを開かなくても,居ます。」とおっしゃっている本当の意味のところはわかりません。 ただ、言葉だけをとってしまうと、だれでもそうでしょう と言えます。 言葉で表せることって、限りがありますね。 ほかのところで、議論されている、結果・原因にしても、言葉の綾としか思えないことがあります。 名前、場所、時間、、、全部記号と思えるこもあります。 私にとっては、たとえば名前とか、「私」という言葉さえ大切ではありません。 ただ、そういう風にしかコミュニケートできないので使っているだけです。 そういう意味では、たとえば音楽はわたくしにとって、言葉よりもっとダイレクトです。 、、、 本筋からそれてしまいました。 私がいま言えることは、物事、人生、宇宙、など、いろいろな見方があるということです。ですから、できるだけいろいろな視点から「みる」こと(ここでも、見る、観る、視る、、、)、考えること、自分にそう言いきかせています。
「 外面的な意味では全く一緒でしょ,でも,此所に道[未知]と云う名前をつけた事で,[誰でもない]訳ではないでしょう。少なくとも,道[未知]と云う名前の人になっています。[何処にも居ません]は確かに名前だけの存在かもしれませんが,キーボードを打った事は,確かななので,どこかに居た筈です。[いつでも居ます]は確かに,メールを開けば,いつでも居ると感じられます,でも其れは,[開く]と云う条件付きで居ます。もりけん様の場合は,名前も無く,キーボードも打たず,メールを開かなくても,居ます。 これって,貴方の疑問に応えた事に成っていませんか?で有れば,御免なさい。
|