ロン丸
初めまして
愛しなさい、光となりなさい、といった言葉に自分の心の中で疑いを持ちはじめたときにこの本に出会いました。立ち読みで半分以上読んで、本棚に戻し、また少しして手にとって…結局買いました。
 もりけんさんと35ちゃんとのやりとりには、震えがきました。
私が「愛しなさい」という言葉に何らかの不満を感じている原因・正体と、もりけんさんが対峙しているように感じたからです。
 
 本を読みながら、童心について考えていたら、ずっと昔の幼い頃に風船を無くして泣いていたことを思い出しました。風船がひとりぼっちで寂しそうに割れてしまっていることを想像して悲しかったようです。
この本は、子供の頃の自由な心を思い出すきっかけになりました。

2006/04/18 01:19:07
「ハンドルを手放せ」

カメ仙人
感想
不思議の科学3が出版されたとき、仙道を少し実践して途中で挫折した者としては興味深く読んだ記憶が有ります。
あるがままから、ないがまま・・・・、真只中を生きる。
当時は良くわからない、と云うのが本音でした。正直言うと今も・・
 
昨年、この文庫本が発売されるころに会社を辞めて判った事は、自分が大切だと思い込んでいるもの程、手放すと楽になれるのですね。
しがみつけばドンドン悪い方向へ流され、訳の分からない状況になるが、見切りを付けた瞬間から目の前が明るくなるではありませんか。
一体、今までの自分は何だったんだろう。
 
経済的には困った状況なのに毎日が楽しいのです。
寝たい時に寝て、食べたい時に食べ、遊びたい時に遊ぶ・・・。
ほんの少し子供の頃を取り戻せた気がします。
 
朝起きて飲む御茶が美味しい。♪
2006/04/12 19:04:41
「ハンドルを手放せ」

とんぼ
ハンドルを 手放せ
まだまだ しっかり しがみついている 自分も 
いますが 須藤さんの 体験の ように
私も 時間にして 20分ぐらい 過去か 前世に
リンクしてしまったことが あります。
そのときは 音が 媒介でした、(ピアノ)
最初は 何が 起きたのか 理解出来ませんでした。
この 世界に 戻ってきたとき この3次元の 中に
別の次元が あると 体感しました。
時間のなかに 空間が あると いうことでしょうか?
もりけんさんが モンロー研究所で 鹿と
いちごを一緒に 食べる ところが
私は 大好きです、
時間の 流れに 乗っていると いう感覚
ゆっくりと 一杯の お茶を 楽しんで 味わう、、、、
ハンドルを 全部 手放せたら もっと もっと
楽の なり もりけんさんの ように 鹿や 雀や
イルカが よってきて くれるのでしょう、、
2006/02/17 09:42:59
「ハンドルを手放せ」

須藤 健
ハンドルを手放せ+不思議の友9号交差しながら
わたしは 空気の香りをかぐのが好きです。
いっぱいいっぱい吸い込むのが好きです。
昨日夜とても幸せに満ちた体験をしました。
妻と那須山の温泉に行き、露天風呂に入ったときでした。
深呼吸し、畑を焼いたような匂いを吸い込んだ瞬間 小学校低学年の自分にリンクしました。
そのときこう思いました。
「ああ〜 過去も素敵だなあ」と
すごく幸せに満ちた後、もしかしたらこれは、瞬間ではあるけれど時間軸的に過去にリリースしているのかなとも思い、いま読んでいる本と交差しながら さらに幸せに満ちました。
空気の香りをかぐと 一瞬にして過去の自分にアクセスすることができます。
その瞬間がなんとも好きです。
しばらくしてさらに ふと感じました。
もしかしたら、過去にアクセスしているということは、今現在わたしがこう生きている瞬間
過去の小学生の自分も今まさに生きて瞬間を味わっているのではないか!!
ということです。今わたしがここにいるから過去の自分はいなくなるのではなくて 時間軸的には同時進行ですすんでいるのではないかと感じたのです。感じただけですが、なんだか意味もなく大発見をしたかのように妻に報告してしまいました。
P.S.健とかいてたけしと読みます。
2006/02/15 06:56:40
「ハンドルを手放せ」

めぐめぐ
感じたこと
この本は3年ほど前図書館で借りて読んでいて、絶版となったと聞いて非常に残念に思っていたので、文庫版になってうれしかったです。
で今回改めてまた読みました。
前読んだときも、精神世界系の本を良く読んでいたのでそれがシャッフルされた感じで感動しました。
何がどう良かったのか、うまいこと言えませんが…
私は昔から精神世界系の本に書いてある「私たちは元々大いなる一つの存在で、成長するために個体を持ってこの世に生まれてきた。学びを終えたとき、私たちは大いなる存在へとまた戻っていく。」
みたいな記述にどうも納得がいっていませんでした。
だって元々偉大な存在なら、成長の必要もないし…。そうだとしたらなんでそれを忘れてこの世に来るのかと。それに成長したければバラバラの個体にならんと一つの状態のまま成長すればいいじゃん、と。何のために成長するのかも分からないし…成長ってのが何なのかも分からないし…。
あと精神世界系に結構はまっていたにもかかわらずそこの考え方が嫌になっていました。
自分を変えて成長するとか、なんか課題を与えられてこの世に来たみたいなのはとてもしんどい世界だなあと感じていたのです。わくわくすることを仕事にしましょうみたいな考え方も、昔はそうかなあと思ってましたが、実際そういうのを目指すセミナーみたいなのに行くと(全員とは言わないが)わくわくしなきゃいかんみたいな価値観を押しつけられている気がして…いる人も何となくしんどそうで…そんながんじがらめで楽しいのか?と。
今回の本の中にあった
「世界は一つになっていくという人がいるが、それは逆だと思う。分離していっていると思う。でも差がないと愛しあえないのではないか」
というような記述になるほどなあと思いました。
前述の「大いなる存在が個別に別れてこの世に来た」みたいな世界観が本当であるとすればの話ですが、個別に別れたのは成長するためではなく、たぶん大いなる存在でも神でも何でもいいのだけど、それがいろんな経験をしたいから個体に別れただけの話ではないかと思った。成長っていうより子供がいろいろやりたいみたいな感覚で。そちらの方が成長だの課題が云々と言われるよりなんかしっくり来ました。でもまた疑問が出てくる。いろんな個体がいろんな経験を重ねていく先には何があるのだろう?
あと静が分離で動が合一という考え方にもなるほど〜と思いました。というかなんか安心しました。うまく言えませんが、同じく修行する人でも山にこもって瞑想とかでなく生活の中で人と交わって修行をしていくという方が暖かみがある気がします。
あと、この本で西洋的な考え方(アメリカ)と東洋的な考え方(中国)が両方書かれているのも素晴らしいなあと思いました。お陰さまの神様の考え方は感動しました。なんて優しい神様なんだろう…と。ニューエイジとかの考え方は西洋的だと思った。でも両方ともバランス良く受け入れられるのは日本人なのではと何となく思いました。(外国人に知り合いがいるわけじゃないから根拠ないけど)
今回改めて読んだときは、なぜか「風の谷のナウシカ」(映画版じゃなくてコミックの長い話の方)の最後らへん(「世界を清浄と汚濁を別に分けてしまっては何も見えないのでは」といって人類を救うための清浄への手だてを主人公が放棄してしまう辺り)がオーバーラップしました。
文庫版エッセイも密度が非常に濃かったです。確かに私も3年前から今までの間で自分を変えようと気張るのやめてまあいいやと力を抜いたら物事の展開が早くなりました。
でも常にスタートラインでいつも自由…と言われると逆にどこかで不安も感じてしまうのですが…
2006/01/26 10:54:18
「ハンドルを手放せ」

ムシマル
読んで思ったこと。
>陰陽を合一するのは、身近なところで小さな合一を果たすだけでよいのです。
 この本の中で何度か出てきて、心にすごくひっかかるのですが「こういう事だ!」と言うふに落ちたイメージが掴めていません。すごく深いと思いました。
>一瞬一瞬自分を外へリリースする。
 魂をリリースすることは大変難しいことです。私は外に向けて人と話しているつもりが気付くとすぐに内に向いているのがわかります。
 心が内に向くことがエゴなのも良くわかります。本にもあったように傷つくのが怖いので、防衛を始めているのです。その壁をぶち壊さないと外に向き続けないと思いました。
 その為にはこの本を何度も読み、内容を深く理解し、体に沁み込ませる必要がある気がします。
 今までがいかに内へ内へと心を向けていたかに気付かされました。そして、今すごく心が揺れているのがわかります。
>子供の時は、瞬間を生きていた。
 確かに私の甥っ子(2歳)を見ていても、驚くほど今を生きているなーとおもいます。
まさに、目の前の事に自分を100%放り込んでいる様です。
自分を振り返って反省する様な事などありません。目は、好奇心で満ち溢れています。
360度、好奇心のアンテナを張り巡らしている様に思います。そのアンテナに少しでも触れるものがあれば何をしている時でも、すぐさまそちらに意識を向け突進して行くのです。全身で外側を感じている様に思います。

途中で何度も読むのが止まり「う〜んっ」と唸りながらいろいろ考えさせられました。
この本を読んでいると脳波が変わるのが分かります。たぶんα波が出ているのでしょう。
自分で瞑想するよりよほど気持ちよくなれました。
2006/01/24 00:50:58
「ハンドルを手放せ」

もりけん
>私の発した言葉は、真剣なのです。 ことばで遊んだりする精神的な余裕は、今の私にはありません。
なら、なぜメインコーナーで「言葉で遊ぶ」ことをするのですか?
2006/01/12 00:12:58
「ハンドルを手放せ」

東天紅
このコーナーは「ハンドルを手放せ」の感想を書くコーナーです。
それ以外の書込み、他人への質問、その他のやりとりが続くことは避けたいので、これにてこのコーナーから手を引きます。
2006/01/11 22:46:23
「ハンドルを手放せ」

ライジング
阿津井照さんという人が
メインにレスをするのなら、OKだと思います
2006/01/11 22:46:19
「ハンドルを手放せ」

東天紅
ライジングさん
阿津井照さんの書込みを誘発しないでください
2006/01/11 22:44:23
「ハンドルを手放せ」

ライジング
阿津井照さん
まず、メールアドレスを入れてください
2006/01/11 22:39:34
「ハンドルを手放せ」

東天紅
>教えて戴けないでしようか?
見ても分からないのなら、分かるまでROMして、
分かるようになってから書込みをしてください。
2006/01/11 22:39:17
「ハンドルを手放せ」

阿津井照 
ごめんなさい!
失礼しました。どうも文化圏の違いが認識できていない、様です。もし、宜しければ「場違い」ではない内容を、どなたでも結構ですから、教えて戴けないでしようか?
2006/01/11 22:33:58
「ハンドルを手放せ」

東天紅
あなたがたのやっていることは
場違いです
2006/01/11 21:13:11
「ハンドルを手放せ」

道(未知)
とらわれない
阿津井照さん、東天紅さん
とわわれない という境地に少しでも達するため、この2年間ほとんで毎日、私なりに取り組んできました。 そうでなければ、もりけんさんの本だとかDVDを買うということもしなかったでしょう。 過去にとらわれない自分なりたいと真剣に努力しています。
私の発した言葉は、真剣なのです。 ことばで遊んだりする精神的な余裕は、今の私にはありません。
東天紅さん、
>お二人ともいいかげんにやめてください
何故、そうおしゃるのか教えてください。

2006/01/11 20:33:11
「ハンドルを手放せ」

東天紅
道さん、阿津井照さん
お二人ともいいかげんにやめてください。
2006/01/11 17:24:39
「ハンドルを手放せ」

阿津井照 
コインの裏、表、のようです。
と、云う事は、見方の話で、「概念」が併存して居る訳では無いですよね?「地上では太陽が動いている様に見え、太陽からは地球が......」と、両方の見方は有っても、「ほんとうはどっち?」「だって太陽の上にたったっ事無いんだもん」と云われれば、それまでなんですが、「結果」か「原因」か、は「概念」の話で
「見方」の話では無いと、思うのですが、如何でしょう?確かに、「過去、こう云う訓練を受けて、今こう云う技術を身につけた」とか、俗にいう「トラウマ」等、原因が過去に有って、結果としての現在を受け取るのが、通例で、そんな中で「現在は未来からの結果」等と云う「発想」というか「概念」は、「ハイそうですか」と認めずらいと思います。が、もりけん様の「好奇心」と云うか「不思議追跡」には「自由を求める」と云う側面があっての「不思議研究所」であり、此の手の「自由」を求める時は、いつも「既成概念」を、どこかで脱ぐ必要が有ると思いますが、道さんの場合は、もりけん様と「御自分が感じている事との違い」を追求されていて「どうちがうの?」と云う疑問(種別に対する認識)では、さほど「概念」を脱ぐ必要は無いと、お考えなのかもしれませんね。「鶏か卵か」に関しては、(ニワトリ)=(2は鶏)だから、卵が先と云う説を唱える人が居たのですが、その後、(タマゴ)=(玉後)だからニワトリが先と云う人が現れて、またまた、どっちか、判らなく成ったそうです。(笑い)失礼しました!
2006/01/11 12:36:45
「ハンドルを手放せ」

>そのような体験の無い場合、
>リアリティ迄は、かなり難しいと思います。後は『問い』続けるしかないですよね. 
同感です。
今のところ、私にとっては、結果と原因は、コインの裏・表のようです。
また、よく例にだされる、鶏と卵のような関係。 どちらが、結果か、原因か? 
私は、あるときは結果、違うシチュエイションでは原因にもなります。
2006/01/10 03:42:48
「ハンドルを手放せ」

阿津井照 
またまた道さんへ,追伸 
すみません!僕は「ハンドルを手放せ」の(手)と(戴きました)の(し)が抜けています〔恥ずかしい〕。 道さんの文中、「議論されている,『結果』『原因』が言葉の綾としか思えないこと....」これも
もっともな事だと思います、僕の場合は、かって断食体験の後、明日の予知夢などを、見る事が三ヶ月ばかり続いた経験が有って、もりけん様の御本を読み「やっぱり!』と、未来が決まっていると考えざるを得ないのです。従って『現在』が「結果」と云う説には凄くリアリティが、有るのですが、そのような体験の
無い場合、リアリティ迄は、かなり難しいと思います。後は『問い』続けるしかないですよね.   
2006/01/10 01:11:01
「ハンドルを手放せ」

阿津井照 
道さんへ、追伸。
道さんは[私は数年前から........」と云って,御自分を客体視しています。客体視したときは,其れを見ている側が主体ですよね?(客体視されている側からは,見ている側を見れません)見ている側は主体なのに,こちら側には肉体等の物質としての実体がなく、視点だけの存在(?)なので,とても主体だなんて思いづらいのですが,たとえ視点だけであっても客体視している側が,主体です。此の視点だけの存在が(誰でもなく)(何処に居る)訳でもなく,(いつでも居る)と云うもりけん様の,体験された事だと,思って居るのですが如何でしょう?正解かどうかは,もりけん様以外には応えられる筈も無く,体験していない者がこんな事を書くのは,おこがましいのですが,そんなつもりで(ハンドルを放せ)を読ませて戴きまた。
2006/01/09 23:28:40
「ハンドルを手放せ」

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