ここでは「私は誰でもない」「私は空洞」と思う事についての感想を書かせて 頂きます。
このことで、いくら自分の気持ちばかり攻めて納得しようとしたりしても、 実生活には生きた外側のあることですから、実際に則してネットワークに 繋がって、生きた実践をしなくては意味がないのだという思いがしました。
ならば「私は誰でもない」と思えるためにはどうしたらよいか。 逆説的に言うと、それは悪人になる事ではないかと思いました。
よく暴走族に入って悪事の限りを尽くした人が、そのエネルギーを反転したかの 如く、一般社会で大活躍している例があります。 これは一旦「空洞化」する事のプロセスをたどったのだと思ってしまいます。 「自分探しという悪事」を繰り返すことで、タマネギの皮を一枚一枚とって いったら最後には「空洞」になったイメージがします。 言って見ればリセットのようなものであり、リセットは極めて躍動的なものに 反転するとも言えそうです。
私は長年生きて来て、経験則バリバリでした。このHPに出会い、それが溶けて いっているイメージを持っています。(年寄りなので溶け方が少しずつですが) 溶けていっているもの、それは小ざかしい偽善なのだと思います。 更に言えば、それはとても醜悪なものと言うべきと思います。
偽善者(醜悪)→悪人→空洞の図式を思ってしまいます。
私は空洞としたら、今迄の自分は何も守るものがない、どうでもよいもの なのだと思います。 「それほど守って、それが何なの?」と問われた本と思いました。
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