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もりけん
視聴率が出ているのでアップ(笑)
2018/04/08 16:29:13
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もりけん
“いい流れ”止めた!? NHK大河ドラマ『西郷どん』 本編休止しての「特別編」は大失敗……視聴者からも大ブーイング!
 NHK大河ドラマ『西郷どん』(鈴木亮平主演/日曜午後8時〜)に異変が起きた。4月1日は、本編の放送を休止して、『西郷どんスペシャル 鈴木亮平×渡辺謙の120日〜大河から世界へ先輩俳優と格闘する大河主演の舞台裏に密着』をオンエアしたが、視聴率は9.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)と大爆死。そのうえ、視聴者からは「なぜ本編を休止したのか?」と大ブーイングを浴びるハメになってしまったのだ。
 
 同日、ふだん超人気バラエティ番組『世界の果てまでイッテQ!』を放送している日本テレビは、スペシャル番組『DASHでイッテQ!行列のできるしゃべくり 日テレ系人気番組No.1決定戦2018春』をオンエアしたが、15.5%どまり。レギュラー番組『イッテQ!』が20%超えも頻繁にマークしていることを考慮すれば、日テレが視聴率を大きく落としたにもかかわらず、2ケタに届かなかった『西郷どんスペシャル』は大失敗といえそう。
 
『西郷どん』は、初回15.4%で、大河史上ワースト2位のスタートとなったが、その後は極めて安定した視聴率をキープ。ここまで、最高15.5%(第5話)、最低14.1%(第13話)で、その差は、わずか1.4ポイント。爆発的な高視聴率こそ記録できていないが、ほとんど数字を落としておらず、着実に“固定視聴者”を獲得している模様だ。
 
 主人公は、日本人なら誰もが知る歴史上の人物で、鈴木の好演ぶりや、「大河らしくない、コメディタッチの脚本、演出が時折垣間見られる」点も好評の要因のようだ。
 
 そもそも、「特別編」がオンエアされるに至ったのは、NHKの“働き方改革”にある。演者、制作スタッフにかかわらず、長時間にわたる撮影をやめ、適度な休日を設けることを目的とし、大河ドラマは従来の50回が、今年から47回に削減された。その穴埋めとして、今回、本編を休んで、特別編を放送。メイキング映像をはさんで、西郷吉之助(後の隆盛)役の鈴木と、島津斉彬役の渡辺謙との対談が流され、渡辺がクランクアップしたことも報告された。
 
 しかし、本編を楽しみにしていた視聴者にとって、“働き方改革”など関係ない話。案の定、特別編の視聴率は爆死し、視聴者からは「特別編なんて、ほかの時間帯にやればいい。本編を休めば、せっかくのいい流れが止まってしまう」といった趣旨の苦言が呈されてしまった。「さすがに、NHKも、特別編のこの低視聴率は予想していなかったでしょう。これは、本編放送を休止にしたNHKへの、視聴者のボイコット行為と見ていい。特別編はあと2回予定されていますが、本編を休んでオンエアするのは一考の余地がありそうです。年間の放送予定は、もう決まっているでしょうが、それを変更してもいいのでは。別に例年より、最終回の放送時期が早くなっても、誰も文句は言わないでしょう」(テレビ誌関係者)
 
 特別編放送のため、本編を休止した結果、ここまでの“いい流れ”を止めてしまったのは事実。この編成が、次回以降の視聴率低下につながらなければいいのだが……。
 
(文=田中七男)
2018/04/08 16:28:45
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もりけん
『西郷どん』特番、視聴率不振だったワケ…役者や制作現場が脚本軽視か…森田君と似たようなことを書いている(笑)
  
鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の特別編『西郷どんスペシャル〜鈴木亮平×渡辺謙の120日〜』が1日に放送された。本編を1回休んで同じ時間に特番を放送するという異例の番組構成だ。NHKの発表によれば、今年はこれまで全50話だった大河ドラマを47話に短縮し、カットした3話分を特番に振り替えるということらしい。
 
 NHKがドラマの番宣番組を放送するのは珍しくないが、大河ドラマ本編の代わりに番宣を放送するのはもちろん初めて。これには放送前から「1話あいてしまうとシラける」「特番は本編と別の時間にしてほしい」など、視聴者から批判の声が上がっていた。視聴率も振るわず、前回より4.4ポイント減らして9.7%という結果になった。特番でさらに本編を盛り上げようとのもくろみは、あまり実を結ばなかったようだ。
 
 とはいえ、今回の特番そのものがつまらなかったかといえば、決してそうではない。西郷吉之助を演じる鈴木亮平と島津斉彬を演じる渡辺謙の2人に焦点を絞り、役柄とリンクするような“師弟関係”や、リアリティーを追求した役づくりなど、撮影の裏側を惜しげもなく明かした番組内容は間違いなくおもしろかった。だが、大きな違和感が残ったのも事実だ。
 
 違和感の大きな要因は、役者たちのストイックな役づくりを強調するあまりに、あたかも脚本や演出が軽んじられているかのような印象を受けてしまったことだ。ネット上でも大きな話題を呼んだ、斉彬が吉之助を蹴ってふっ飛ばすシーンは、台本では「平手打ち」だったという。また、命を懸けて殿に仕えると誓う吉之助に斉彬が掛けた「なんでもかんでも命を懸けるな。命はひとつじゃ」という台詞も台本にはなく、渡辺のアドリブだったという。
 
 これらのアドリブによってドラマとしての出来が良くなったのかどうかは人それぞれ感じ方が違うと思うが、論じたいのはそこではない。視聴者の間で良くも悪くも話題を呼んだシーンや台詞が、脚本家や演出家によって生み出されていたのではなかったという事実である。役者が現場で演出や台詞に口をはさむこと自体はそれほど珍しくないが、ストーリーの中で山場になる場面が役者の発案であると、制作側が明かしてしまうのはいただけない。それは、脚本と演出が力不足であると自ら認めるようなものだからだ。
 
 今回の特番を振り返ってみると、実は渡辺も鈴木も一度も脚本を褒めていない。普通なら少しくらいは、「台本がいいので、それを自身がどう表現するか考えさせられた」といった具合に、少しは脚本家を“ヨイショ”するはずだ。役づくりにあれだけ真剣な彼らが、一言もそれに類した発言をしなかったことから見て、内心では中園ミホ氏の脚本に不満を感じながら演じていることは間違いないだろう。もしかしたらカットされただけなのかもしれないが、それはそれで番組制作側が「役者のヨイショ」はしても「脚本家のヨイショ」はしなかったことになる。いずれにしても、「視聴率は健闘しているが脚本は褒められたものではない」というのが、『西郷どん』現場サイドの認識なのだろう。
 
 さて、物語の序盤を牽引してきた斉彬は、間もなく物語から退場することになる。ドラマにとって大きすぎる存在であっただけに、その後のストーリーをどう盛り上げていくかが問われることになる。果たして中園脚本は、渡辺謙のアドリブがなくても成立するのだろうか。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)
2018/04/06 06:38:48
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もりけん
今朝の朝日新聞より
2018/03/30 06:53:08
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朝日に出ていた例の映画
 
(クリックすると画像が大きくなる)





2018/03/06 06:03:36
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もりけん
#コロコロコミック VS #チンギスハン 〜「謝罪した小学館」は正しいが、「小学館の謝罪」は間違ってる。

すごく長い記事(笑)。でもなかなか面白い。アドレスをはり付けて是非読んでみて。生まれ変わりの村4にも関係しそう。
 
http://nationoflequio.hatenablog.com/entry/2018/02/27/120416
 
 
 
以下は関連記事
 
コロコロ「販売停止」複数の大手書店で チンギス・ハン問題、影響拡大
 
 小学館の「月刊コロコロコミック」(2018年3月号)に、モンゴルの英雄チンギス・ハンに対し不適切な描写がある漫画が掲載された問題を受け、複数の書店チェーンが同誌の販売を中止している。
 
 J-CASTニュースの18年2月28日の取材に、紀伊国屋書店(東京都目黒区)、くまざわ書店(同八王子市)、未来屋書店(千葉市)の3社が「全店で販売を停止している」と話した。
 
■「不適切な表現が掲載されていたため」
 
 問題の漫画は「やりすぎ!!! イタズラくん」(作・吉野あすみ)。登場キャラがチンギス・ハンの肖像画を見て名前を答えるシーンで、「モンゴルの皇帝 チ( )・( )ン」の穴埋めに前から「ン」「チ」と書き込み、肖像画の額に男性器の落書きをする描写があった。
 
 この表現について、駐日モンゴル大使館は2月23日昼にフェイスブック上に抗議文を掲載。小学館は同日中に「ご不快の念を抱かせましたことを、深くお詫び申しあげます」などとするお詫び文を公式サイトのトップページに掲載した。
 
 こうした動きを受けて、同誌の販売を中止する書店チェーンが出ている。全国に70店舗を展開する紀伊國屋書店の広報担当者は取材に対し、「25日に全店で販売を中止しました」と説明。理由については、
 
  「不適切な表現が掲載されていたため」
 
と話した。
 
 イオン傘下の未来屋書店の担当者は「複数のお客様から掲載内容に関する問い合わせがあった」として、25日までに全店から雑誌を撤去することを決めたとした。そのほか、くまざわ書店の担当者は、
 
  「他店の動向も踏まえ、27日から全店で販売を中止している」
 
と話した。
 
個々の店舗で撤去も
 また、TSUTAYA(東京都渋谷区)の広報担当者は28日昼の取材に、会社として対応を取っている訳ではないが、「個々の店舗の判断で、すでに撤去を決めたところはある」と話した。
 
 一方、丸善ジュンク堂(東京都中央区)は、現時点では販売を続けているとした。また、有隣堂(横浜市)の担当者は、
 
  「現時点では特に対応は取っていません。取次、出版社側から何かアクションがあれば対応する予定です」
 
としていた。
 
 なお、小学館広報室の担当者は28日昼、コロコロコミック3月号を回収する可能性について、「現在、対応を協議中です」とだけ話した。
2018/02/28 16:19:00
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もりけん
西部邁の「自裁死」を美談にしてよいのか
 
評論家の西部邁氏が、多摩川に入水し、「自裁死」を遂げた。その訃報を美談として報じるメディアがある。だが日本に一時帰国していた欧州在住ジャーナリストの宮下洋一氏は、そうした報道に違和感を覚えたという。6カ国での取材をもとに『安楽死を遂げるまで』(小学館)を上梓した宮下氏が、日本人の「死に方」を巡って問題提起する――。
 
こうした趣旨の発言をするのは日本人だけ
評論家の西部邁氏が1月21日、多摩川(東京都大田区)に入水し、「自裁死」した。80歳を目前とした西部氏だったが、いまだ舌鋒は衰えず、第一線で言論活動を続けていた。一方、4年前に妻に先立たれ、利き腕の神経痛にも悩まされていたという。
 
常に自分の信念に基づいて行動してきた同氏の決断だけに、その死に方は尊重したいと思う。ただし、西部氏が生前、こんな言葉を口にしていたという報道をみて、少し立ち止まって、この問題を考えてみようと思った。
 
「家族に介護などで面倒をかけたくない」
 
昨年6月刊の『ファシスタたらんとした者』(中央公論新社)でも、以下のような記述がある。
 
<近親者を含め他者に貢献すること少なきにかかわらず、過大な迷惑をかけても生き延びようとすること、それこそが自分の生を腐らせるニヒリズムの根だ>
 
「家族に面倒をかけなくない」「迷惑をかけてまで生きたくない」。この2年間、私は世界6カ国で安楽死の取材を重ねてきたが、こうした趣旨の発言をするのは日本人だけだった。
 
なぜ日本人は「人の視線」を気にするのか
昨年、安楽死を希望する日本人女性に会った時のことだ。彼女は、外国人の安楽死が唯一認められるスイスに渡って、死を遂げることを計画していた。彼女は重病を患っていたわけではないが、精神疾患を抱えていた。その病を抱えながら、今後生きていくことに対し、苦痛を覚えているようだった。安楽死の動機を尋ねた私の問いに対し、目に涙を浮かべながらこう話した。
 
「より良く生きたい気持ちはないし、人に迷惑をかけたくないので……」
 
脚本家・橋田壽賀子氏も、著書『安楽死で死なせてください』(文春新書)の中で、こう書いている。
 
<人に迷惑をかける前に死にたいと思ったら、安楽死しかありません>
 
なぜ、日本人は自らの死を決断するときに「人の視線」を気にするのだろうか。そして「迷惑」という言葉を口にするのだろうか。こうあるべきという「前提」によって立たず、自らで思考し続けた西部氏すら、こうした言葉を口にしていたと聞いて、ここに日本の国民性を解く鍵があると私は思った。
 
スイス、オランダと決定的に違うこと
スイス、オランダ、ベルギーといった安楽死容認国では、安楽死の出発点は「個人の明確な意思」にある。
 
「まさかこの年齢で死を迎えるなんて、考えたこともなかったわ。けれど、死が怖いんじゃないのよ。この耐えられない痛みとともにじわじわと死んでいくのが、私には恐怖なの」
 
スイスで死を遂げようとする68歳のスウェーデン人女性は、静かに答えた。彼女は余命数ヶ月の膵臓癌を患っていた。これは安楽死前日のインタビューだった。しかし彼女は取り乱すことなく、冷静に言葉を選ぼうとしていた。傍らには、彼女のパートナーの男性もいた。その彼と半年後に再会した際にも、彼女の選択を尊重し、死そのものを悔やんでいる様子はなかった。
 
死は、「個人の最期の決定」とする欧米では、医師はもちろんのこと家族ですら、安楽死という決断を尊重しようとする。そのことを象徴する出来事に、私はオランダでも出くわした。扁平上皮癌を患っていた65歳の男性がとった行為――それは、安楽死当日にパーティを開いたことだった。彼は、長い眠りにつく前にシャンパンを飲み、タバコを吸った。
 
「じゃあみんな、僕はこれからベッドに行って死ぬ。最後までパーティを楽しんでくれ。ありがとう」
 
未亡人となった女性は、後日、悔やんだ顔一つ見せず、夫との出会いから別れを、美しかった人生の1ページとして、私に語りかけていた。こうした光景を何度も見てきたので、本人も、遺された家族も、納得した死であるなら、安楽死を否定するのは間違いではないかと私は思うようになった。
 
そうした視点を持っていたからこそ、日本で安楽死を認めることは難しいと思うようになった。そのキーワードがさきほど説明した「迷惑」である。日本では、安楽死を望む人間に何度も会った。そこでは自らの病気に対する肉体的痛みというよりも、他人に迷惑をかけたくないことを理由として挙げていたことが印象的である。
 
「死」をタブーとするな
私は「日本人に安楽死は向いていない」と考えている。なぜか。それは周りに迷惑をかけないために安楽死を選ぶのだとすれば、家族からの「そろそろ患者に逝ってほしい」という空気を、患者本人が察して、死を願い出るケースも十分考えられるからである。「空気を読む」という日本的習性が、死にかかわる決断を左右するのは危険だ。それは長年、欧米で議論され、培われてきた「死の自己決定権」とは、対極の概念に行き着くものだからだ。
 
なにも私は、このような日本社会を否定しているのではない。むしろ、安楽死容認国が、「個人の意思」のみで死を選んでいくことに悲しさを覚えることだってある。
 
私が取材した海外の安楽死希望者の中には、家族に「死の意思」を伝えぬままスイスに渡ろうとする人間もいたし、「最期の瞬間」に子どもが立ち会っていないケースもあった。家族の理解が得られぬなら、個人の意思を優先してしまうのが、こうした国々である。
 
欧米で長く暮らしていると、日本人ならではの家族主義、共同体意識にむしろぬくもりを感じることもある。日本に一時帰国すると、両親は40歳を過ぎた私の仕事にいまだあれこれ口を出すし、時には原稿に口を出すこともある(それを迷惑に感じることもあるが、うれしくもある)。子どもは、尊重すべき「個人」ではなく、自らの血を分けた「家族」なのだろう。
 
日本で行った安楽死の取材でも、「家族に迷惑をかけたくない」といってスイス行きを希望する人間がいれば、逆に「家族の理解が得られないから、現時点ではスイスには行けない」と言う人間もいた。
 
日本人の死生観において、家族は必ずつきまとう。それを悪いとは思わない。あくまで、安楽死が向いていない、と思うだけだ。
 
「どう死ぬか」「どう死にたいか」
ただし、日本での安楽死法制化が時期尚早だとしても、死に方を巡る議論はもっとなされるべきだと思っている。日本の平均余命が90歳に迫ろうとしているのに、医療の指針は旧態依然としている。「病は敵」「死は敗北」「一日でも、死の時期を延ばす」。日本の医療ドラマの多くが、救われることが前提となっているように思う。
 
この国では、自分の「死に方」を周囲と話すのははばかられる雰囲気がある。病を患っていなければ、なおさらだ。だからこそ、事故や重病で本人が意識を失ったとき、家族はうろたえる。どうすればいいか分からないからだ。生前に、自らが重篤な状態に陥ったときの処置(延命処置の中止など)を指定する「リビング・ウィル(生前意思)」の運動も拡がっているとは言いがたい。
 
また、病院信仰があついゆえか、死期を病院で迎える人間がほとんどだ。国の人口動態統計によると、2015年の死亡者のうち76.6%は病院・診療所で亡くなり、自宅は12.7%だった。今後、高齢者はますます増えていく。医療機関だけで対応するのは難しい。
 
その場合、ますます「救われる物語」とは違った想定――つまり自分は「どう死ぬか」「どう死にたいか」について、考えを深めておくこと――が求められるのではないだろうか。ちなみに欧州では、自らの死に方について日頃の食卓で意見を交わすことは珍しくない。
 
日本の「死に方」を巡る議論の閉鎖性はいくらでも続けられるが、このあたりで西部氏の話に戻ろう。同氏が「自裁死」を選ばなかったとして、他にどんな選択肢があったのだろうか。
 
遺族に及ぼす衝撃はいかなるものか
生前、西部氏は病院での延命治療や、施設での介護を避けたいと周囲に語っていたという。病院での死を「自然死」として数えることにも意義を唱えていた。同氏が生前に書き遺した最期の著作『保守の遺言 JAP.COM衰滅の状況』(平凡社新書)が2月27日に発売される。その「あとがき」にも、こんな言葉がある。
 
<これでやっと「病院死を拒(しりぞ)けて自裁死を探る」態勢が完了したということである>
 
実際に、西部氏は多摩川に身を投じた。彼自身は思いを達成した、とも言える。「どう死ぬか」「どう死にたいか」を考えた末の選択だったのだろう。
 
だが、一つ気になることがある。遺族に及ぼす衝撃はいかなるものか。報道によれば、西部氏が自宅にいないことに気付いた家族が、深夜、同氏の行方を捜していたという。水に濡れ、冷え切った遺体を目にした遺族の心中を察するに余りある。彼が思う「迷惑」が、本当に家族にとって迷惑なものだったのだろうか、とも思ってしまう。
 
西部氏が残した「宿題」
西部氏のような覚悟をもった人間が他にいるとも思えない。多くの高齢者は、彼のような選択をとることないだろう。しかし、同じ思いを共有している可能性はある。彼の死を通して、日本の死生観や終末期医療を巡る「窮屈さ」を感じてしまう。西部氏の功績が顧みられることはあったが、こうした視点はほとんど見られなかった。これも死に方の議論をタブーとする日本の文化なのか。西部氏がなぜ、あのような死を迎えたのかを考えることは、彼の死を悼むことと同義だ。彼が残した日本人への宿題だと思う。
 
なにより自裁死した衝撃が家族の傷にならないことを願いたい。自裁死も安楽死も、結局は残された人間がどう感じるのか。それに尽きるのである。
 
宮下洋一(みやした・よういち)
ジャーナリスト 1976年、長野県生まれ。18歳で単身アメリカに渡り、ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。その後、スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論修士、同大学院コロンビア・ジャーナリズム・スクールで、ジャーナリズム修士。フランス語、スペイン語、英語、ポルトガル語、カタラン語を話す。フランスやスペインを拠点としながら世界各地を取材。主な著書に、小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。(撮影=宮下洋一 写真=時事通信フォト)
2018/02/11 05:26:24
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もりけん
不人気のNHK大河ドラマ『西郷どん』 “救世主”は篤姫役の北川景子か?・・バリバリのネタバレあり
 スタートしたばかりのNHK大河ドラマ『西郷どん』(鈴木亮平主演/日曜午後8時〜)が、いまひとつ盛り上がらない。
 
 ネット上では、「薩摩弁が理解できない」「主役が鈴木じゃ、格が低すぎ。渡辺謙主演で見たかった」「キャストが地味」などとして、厳しい声も多い。
 
 初回視聴率は15.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)で、歴代ワースト2位の最悪発進。その後、15.4%→14.2%→14.8%と伸び悩んでいたが、第5話にして、自己最高の15.5%をマークし、風向きが変わってきた。
 
 近年の大河では、初回視聴率が最高視聴率で終わってしまうことが多く、昨年の『おんな城主 直虎』、15年『花燃ゆ』、13年『八重の桜』が、そのケース。それを考えると、『西郷どん』が、0.1ポイントといえども、第5話で初回視聴率を超えたのは明るい材料だ。
 
 第5話は「相撲じゃ!相撲じゃ!」で、藩主に就任した島津斉彬(渡辺)は、父・斉興(鹿賀丈史)派の重鎮たちを罰せず、重用すると宣言。父が流罪でいまだ謹慎中の身である大久保正助(瑛太)は斉彬のやり方に憤る。正助のため、西郷吉之助(鈴木)は、藩主と会える御前相撲で勝ち上がり、殿の真意を問いただすと息巻く。そんな中、岩山糸(黒木華)に縁談話が持ち上がり、相手は相撲大会にも出場する上級藩士・海老原重勝(蕨野友也)だという。糸に恋焦がれる正助の無念を晴らそうと、吉之助は絶対負けられない試合に臨む。島津家の姫・於一(北川景子)が見守る中、相撲大会で波乱が巻き起こる……という展開だった。
 
 それでは、第5話で視聴率を押し上げた要因は何なのか? 同日、ライバル番組の『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)は20.2%、『ビートたけしのスポーツ大将 超豪華!現役トップアスリート大集結!3時間SP』(テレビ朝日系)が10.1%の高視聴率を獲得しており、“敵失”ではなさそう。
 
 そうなると、大河初出演となる北川が第5話で初登場したことが、最大の要因として挙げられそうだ。北川が演じる於一は斉彬の養女で、後に篤姫を名乗り、第13代将軍・徳川家定の正室になり、大奥に入った人物。婚儀をまとめるため、奔走する主人公の吉之助との間に恋心が芽生えるなど、彼女の存在はストーリー上、重要となっていく。
 
 北川が登場したことにより、第5話の視聴率がアップしたのであれば、ある意味、“救世主”といえそうで、今後も、その“効果”にあやかりたいところだろう。
 
2018/02/10 06:17:45
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もりけん
今朝の朝日新聞より
 
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2018/01/28 05:53:20
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もりけん
テレビ局が不倫報道をやめれば、この国は変わると思う・・スゲー長いです。暇なときにでも(笑)
 
タイトルは意識高い系のきれい事に見えるだろうが、テレビ局の今後のビジネスのために言っているつもりなのでじっくり読んでいただきたい。
 
小室哲哉の不倫スクープで週刊文春はブランドを著しく損なった
2016年1月のベッキー騒動以来2年間、築かれてきた”週刊文春”のブランドは、この一週間ですっかり崩れてしまった。小室哲哉の不倫をスクープしたはずの週刊文春だったが、1月19日(金)午後に行われた会見で、叩かれるはずの小室氏は日本中から気の毒がられる側になり、逆に週刊文春こそが叩かれる側になった。
 
TBS「サンデージャポン」に登場した週刊文春の記者は「本意ではない結果になった」と語ったそうだ。病身の妻をほったらかして看護師に入れ込んでる大御所音楽プロデューサーがしどろもどろで会見するはずが、見るからに疲れ果てすっかり老け込んだ男が引退を発表してしまった。妻の介護に日々神経をすり減らし引き際を考えていた男を、音楽制作の舞台から追いやってしまう立場になるなんて。文春側も予想だにしていなかったのだろう。その結果、追い込むつもりが追い込まれてしまったのだ。
 
不倫報道を盛り上げたのはストーリー
 
ベッキー騒動以来、週刊文春はピカレスク的メディアとして一目置かれる存在になった。類似のスキャンダルメディアの中でも、文春には理念とポリシー、もっと言うと独特の美学を感じさせるものがあったと思う。不倫を報じるにしてもストーリーがあったのだ。ただ著名人の不貞を暴くのではなく、「○○○なのに不倫していた!」という明らかなメッセージを込めていた。ベッキーも爽やかで健康的なイメージを売りにする、不倫からはほど遠いタレントなのに不倫していた。そのうえ、謝罪の裏で川谷絵音とまったく反省していないLINEのやりとりをしていた。これをも暴露した文春の「そこまでやるか!」と「よくぞここまで!」のギリギリの間を縫って駆け抜けていく様は見事と言うしかなかった。
 
私は昨年8月に「テレビの不倫報道の過剰」を訴える記事をこのYahoo!で書いた。その時見せたのがこのグラフだ。
  

 
テレビ放送のメタデータ(放送内容をテキストデータ化したもの)を作成するエム・データ社に、ここ数年でテレビ局が不倫報道に費やした時間を集計してもらったグラフだ。予想以上に、ベッキー騒動以降格段に不倫報道が増えていた。2014年、2015年の不倫報道は年間20〜30時間だったのに、2016年には170時間に急増したのだ。2017年も8月までで120時間を超えていた。どう考えても過剰だ。
 
グラフをあらためてよく見ると、2016年1月に火がついたが、2月にはさらに爆発的に増えている。中身を見ると、宮崎謙介元議員の不倫だった。イクメン政治家を宣言したのに妻の出産期間中に不倫をしていた、例の事件だ。ベッキー騒動で盛り上がった「不倫カーニバル」の火に油を注ぐ流れになった。
 
ここにも「イクメンなのに不倫」というストーリーがあった。男性議員のイクメン宣言に期待したのに、がっかりさせられた。同時に、とてつもなく面白かった。ベッキーのLINEのやりとりも、「謝っといて反省してない」というストーリーに世間は憤ったわけだが同時に、ものすごく面白かった。
 
タブーをものともしない潔さに世間が喝采した
 
文春の活躍は不倫騒動だけではない。あらゆるタブーに切り込もうかというその姿に世間は魅せられた。ジャニーズ事務所に突っ込んでいき、重鎮メリー喜多川氏のインタビューをものにした。ニュースキャスター着任直前のショーンKの経歴詐称を暴き立てた。常識感覚では触れない話題に平気な顔で切り込み、隠していたことを掘り起こして世間の目にさらしていく。強引なやり方に文句も言いたいが、あまりの鮮やかさに参ったと言うしかなかった。ショーンKの一件は、ベッキー騒動を遥かに超えて面白く、笑えた。
 
小室氏の不倫も、時代を作った男が妻の病気をいいことにうまいことやってる!そんなストーリーを片手に切り込んだはずだったのだろう。だが、小室氏が見せたのはまったくちがうストーリーだった。しかも引退を発表するとは。文春が犯した計算違いは、大きなしっぺ返しをもたらした。小室氏に向けたはずの矛先が、自分に向かって切りかかってきたのだ。自ら研ぎ澄ましてきた切っ先だけに、自分に振り降ろされると大きな痛手になった。2年間のブランドがあえなく切り刻まれようとしている。
 
面白いことに、文春は今週もまたスクープを切り出してきている。NHKからフジテレビに転身すると報じられていたキャスターが、過去にセクハラをしていたという内容だ。だがもはや崩れた文春ブランドに、世の中の反応は薄い。それどころか、むしろ冷めた目の文春へのネガティブな言葉がtwitterを飛び交っている。
 
不倫への感覚がメディアにねじ曲げられていた
 
さて私がこの稿で言いたいのは、切り刻まれようとする文春にレクイエムを送ることではない。「メディアにもブランドがある」ということだ。そしてこの機に問いたいのがテレビ局の不倫報道への姿勢だ。
 
文春が2年間脚光を浴びた背景には、彼らが文春オンラインも立ち上げてネットを巧みに使いこなしたからだが、それによってテレビ局が文春になびいてしまったことのほうが大きい。文春の手のひらの上でまんまと転がされ、自分たちで取材する意志を放り投げたかのように、スクープの甘い汁を吸うようになった。テレビ局が文春のスクープにあそこまで乗らなければ、これほど異様な「不倫熱」の病が二年間も続かなかっただろう。つまり私たちはこの二年間、思い返せば奇妙なくらい不倫した人物を叩いてきた。感覚が麻痺していたと言っていい。その麻痺はまずテレビ局が侵され、そのメディアパワーによって日本中に伝染された。
 
私たちはベッキー騒動以前、ここまで不倫を叩いてはなかった。不倫を叩くことにこれほど時間とエネルギーを費やしていなかった。そのことをすっかり忘れてしまうくらいこの二年間の「不倫熱」の病は異常だったのだ。さっきのグラフが何よりの証明だ。我々はついこないだまで、ここまで他人の不倫に興味を持っていなかった。
 
おかしかったのは文春ではない。文春が描いたストーリーを必要以上に真に受け、本来はベッキーが「謝ったのに裏で反省してなかった」ことに怒っていたはずなのに不倫そのものを絶対的な悪ととらえるようになったことがおかしかった。宮崎元議員が「イクメン宣言したのに不倫していた」から叩かれたはずなのに、不倫することそのものを社会として許さない感覚に陥った、そこが変だったのだ。文春の「○○○なのに不倫した」ストーリーを大きく曲解してしまった。その根源がテレビの扱い方だった。
 
今週になって日本テレビの朝8時枠のワイドショーで司会の加藤浩次氏が「自分たちは不倫に反応しすぎていたのでは?」と問題提議した。きっと、ずっと感じていたのではないか。やっと疑問を投げかけていいタイミングが来た。そう思っての発言ではないかと受けとめた。
 
次に叩かれるのはテレビである可能性
 
いま文春叩きがネットで一部の人々によって行われている。今週どんどんふくらんでいるようだ。そのうちテレビにも飛び火しておかしくない。だって上に書いたようなことは、みんなわかっているはずだ。不倫報道は、文春が火をつけたら即、テレビが拡大させてきたのだ。この2年間ずっとそうだった。
 

 
この画像は、ある不倫スクープについてテレビ番組が伝えた画面の一部だ。ここでは週刊文春が撮影した映像が使用されている。「週刊文春デジタル」とはニコニコ動画内で開設しているチャンネルで有料。文春は自ら撮影した動画を、テレビ局に売っているのだがその際に、このようなバナー的な画像を貼り付ける条件になっているのだろう。
 
このバナーはクレジットの域を超えている。宣伝と言っていい。もちろん売る側からすると、映像の利用条件にバナーの表示を義務とするのも交渉としてありだろう。だがそれを受けるのか?これを見た時、私はがく然とした。あきれ返った。いくら貴重なスクープ映像だからと言って、事実上「有料サービスの宣伝」を目的としたバナー表示の条件を呑んだのかと。意地はないのか?「スクープがスマホで!」と高笑いするようなコピーまでついたこの画像を条件とされたなら断るべきではないか?それくらいの矜持をテレビ局はもはや持つ気はないと言うのか?報道メディアとして誇りはなくしたのか?ワイドショーだから報道ではない、などと言うのだろうか?だがいまは、ワイドショーで政治や社会問題も扱うではないか。
 
宣伝したい企業にCM枠を売るのがテレビ局なのに、お金を払った映像素材に宣伝を載せてあげている。営業上もおかしなことになっていないか。ちなみにこの画像は、先週小室哲哉氏の不倫を報じる際にも貼り付いていた。
 
テレビ局は、自らのブランドへの意識が薄すぎだ。そしていま、さらにブランドを問われる事態が起こりかけている。文春がこうなっても、まだ不倫を今まで通り扱い続けるか。これを機に「不倫報道は今後やめます」と宣言するか。そこをはっきりさせずにズルズル「不倫熱」の病に侵されたまま今まで通り週刊誌の不倫報道に乗っかると、テレビブランドはどんどん下がり、テレビ離れが加速してしまうだろう。若者だけでなく上の世代にも見られないメディアになりかねない。
 
どんな枠でどんなことを扱うか、もう一度線引きを
 
これは、必ずしも下世話なネタをテレビは一切扱うなと言っているのではない。どの番組でどんな題材を扱うかの線引きがいま必要だということだ。
 
ゴシップを扱っていたワイドショーが90年代以降、政治も扱うようになりニュースとの境界が曖昧になった、ということだ。その分ゴシップが表舞台で扱われるようになった。
  
いまはこの「ニュースみたいなワイドショー」がどんどん広がっている。朝も午前中も昼時も午後イチも昼間も夕方も、ほとんどが情報番組で、そのどれもが政治もゴシップも(そして相撲界も!)扱うのだ。そしてとくに連携もなくそれぞれが視聴率の取れそうなネタに飛びつく。かくて文春の不倫報道を朝からゴールデンタイム直前まで扱うのだ。政治家の不倫だと夜のニュースも文春で染まる。そんな時は「スクープがスマホで!週刊文春デジタル」のバナー表示付きのスクープ映像が朝から晩まで全民放局で流れるのだ。山尾志桜里議員の不倫疑惑の時は、本当にそういう状態になった。どうして局内で異常だと声が上がらないのか不思議だ。
 
いま、中学生でも「フェイクニュース」という言葉を知っている。メディアの信頼性を多くの人が気にしながら情報接触しているのだ。どのメディアは信頼できて、どのメディアは見ないほうがいいか。読者視聴者は慎重に峻別している。「テレビでこんなことやってたけど、週刊誌の受け売りなんでしょ?」とか「テレビでやってたからってそのまま信じちゃダメだよ」とか、そもそも「テレビなんか見てちゃダメだよ」などとすでに人びとは言い出している。不倫報道に対してどんな姿勢で今後臨むか、テレビは実はメディアブランド上、大きな岐路に立たされている。
 
テレビが襟を正せば、この国の空気は変わる
 
「我が局は今後一切、不倫報道はやめます」そう宣言したらみんなが見直すと思う。もしすべてのテレビ局が宣言したら、そのことによって、何かあると叩きたがるギスギスしたこの国の空気は一気に変わる気がする。まだまだ、テレビにはそれくらいの大きなパワーがある。パワーがあるうちに、パワーを失わないための決断をしてくれればいいと思う。
2018/01/26 12:15:17
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もりけん
NHK受信料義務の合憲に批判殺到「うぬぼれるな」西郷どんからのメッセージ
 今月の7日から放送を開始したNHK大河ドラマ「西郷どん」では、原作、脚本、俳優陣、どれも豪華な顔ぶれで、明治維新150周年の2018年にふさわしい力の入れようです。私は鹿児島出身なので、西郷どんをはじめとする登場人物の鹿児島弁を懐かしく思いながら視聴しています。西郷どんは、地元ではヒーロー的存在。その西郷どんの功績である明治維新から150年を迎え、それに合わせた今回の大河ドラマに大きな期待が寄せられています。また、大河ドラマ化を記念して、市内に「西郷どん 大河ドラマ館」が設置され、1月13日にオープンしました。大河ドラマが地元に与える影響の大きさを改めて感じさせられます。
 
 しかし、西郷どんの初回視聴率は、15.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と過去10年で最低、大河ドラマ史上ワースト2位というスタートを切りました。それに比べて鹿児島では34.9%と驚くべき高視聴率を獲得。地元だけが盛り上がっている現状のようです。今後視聴率が伸びていくかどうかは、ストーリー展開や役者の演技力だけにかかっているとは言い切れません。公共放送としてのNHKの姿勢も大きな責任を担っているのではないでしょうか。
 
受信料義務に納得できない大多数の国民
 
 若者の“NHK離れ”が言われて久しいですが、近年ではインターネット上の動画やスマートフォンの普及などでテレビ自体を視ない人も増えています。受信料を払うことを拒否した1人の視聴者にNHKが訴訟を起こし、昨年12月、最高裁が受信料の義務を認める判決を下しました。裁判では、放送法64条1項「日本放送協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」が合憲と認められました。つまり、テレビを購入したがNHKを視ないから受信契約を締結する気がないといっても、受信料を支払う必要があるということです。これに対して批判の声も多く上がっています。
 
 「ぜひ、スクランブルにして欲しい。好きな人は、契約する。NHKが無くても、全く困らない」
 
 「NHKを視てて払わないのは反則だと思いますが、視てないのに徴収するというのは今の時代に合ってないです。公共放送なんだから視てなくても金払え、というのなら、税金として徴収し、NHK以外でも使用できるようにして欲しいです。福祉とか他の公共事業にも利用されるというのなら、納得する人も出るでしょうし」
 
 「『公平』とは、テレビを視た時間に応じて視聴料を徴収することであり、視る視ないに関係なく等しく視聴料を徴収することではない。もっとも、それすら満たしていないのだから、公平云々と言うよりも、単に悪平等なシステムだと言った方が正解かもしれない」
 
 というように、NHKの受信料が合憲とされたことに納得がいっていない人は多くいます。公共放送に対して懸念を抱き、見たい人だけがNHKを視聴できるようにするスクランブル化を求める声が多く上がっています。
 
 一方、民放よりもNHKを普段からよく見ている人や、NHKの質の高い番組内容を支持している人たちもいます。
 
 「コマーシャルがない、ドラマでも、ドキュメンタリーでも、民放に比べより質の高い番組を提供している、などの理由で受信料の合憲に賛成です」
 
 「民放のようにスポンサーが付くと、教育テレビのような質の高い、しかし、視聴率の低い番組は真っ先に切られてしまう。すべてのテレビ局が視聴率競争だけの、内容のない番組に傾きそう」
 質の高い番組や、災害や事故が起きた時に番組を中断して情報を放送し続ける公共放送だからこそできることを支持している人もいます。
 
 スクランブル化に対してNHK側は、「災害時には迅速に正確な情報を提供するほか、教育、福祉、古典芸能といった視聴率だけでは量ることのできない番組も数多く放送しており、スクランブル化は一見合理的に見えても、NHKが担っている役割と矛盾するため、公共放送としては問題がある」と説明しています。
 
 また、「仮にスクランブル化した場合、視聴率に左右されるため、どうしても『よく視られる』番組に偏り、内容が画一化していく懸念がある。結果、視聴者にとって番組視聴の選択肢が狭まって、放送法がうたう『健全な民主主義の発達』の上でも問題があると考える」とも主張しています。
 
公共放送にふさわしい番組制作を
 
 NHKといえば、朝の連続ドラマや大河ドラマに、教養、教育番組、報道番組やドキュメンタリー番組など社会問題を取り上げてメスを入れる番組を主に提供しています。公共放送というに相応しい質の高い番組を提供して、民放放送とは一線を画しています。確かに視聴率だけでは左右されない、今、国民に提供すべき情報を提供してくれるのがNHKなのでしょう。
 
 しかし、テレビ離れ、NHK離れしている世代が増えてきつつある今、いくらNHKが公共放送の良い点を挙げ、スクランブル化の問題点を説明し、主張したところで、受信料を支払う国民が義務について納得していなければ、NHKのひとりよがりではないでしょうか。貧しい家庭や貧しい学生にまで同じ額を徴収し、義務が合憲だと認められたことでそれまで支払っていなかった分まで徴収されるということに納得はできません。裁判でNHK側にもある程度の規定が設けられたので、これまでのような強引な徴収はなくなるかもしれませんが、この裁判で余計にNHKに対してアレルギーを持っている国民が増えたことは自覚してもらいたいものです。
 
 NHKが公共放送で、受信料の義務が合憲だと認められたことに関して積極的に賛成しかねますが、NHKが民法では取り上げない社会問題やドキュメンタリーを放送できることは視聴率に左右されない公共放送だからということを改めて知ったので、合憲には納得できます。
 
 しかし、NHKの番組が全て質の高いものだとは限りません。もっと力を入れて欲しい報道番組や、予定調和で構成されているドキュメンタリー番組など、受信料を払っているからこそ納得できない番組内容もよく目にします。公共放送ということにあぐらをかかず、公共放送にしかできない質の高い番組を放送してくれることを願います。
 
 だからこそ「西郷どん」には余計に期待が高まります。大河ドラマではほとんど視ない二階建てのセットを作ったり、リアリティを感じさるために方言指導も徹底したりとドラマ制作に力を入れていることが分かります。
 
 また、俳優陣の配役もNHKの意図を感じさせます。特に物語の主要人物の一人である島津斉彬公に渡辺謙を起用したことはハッとさせられました。主君である島津斉彬公の命で、西郷どんは著名人達と会い、知識見聞を大きく広め、才能をどんどん高めていき、明治維新を成し遂げるまでに至りました。島津斉彬公は、後世に知られる西郷どんを作り上げた人物ともいえます。そんな人物を演じる渡辺謙は、ハリウッド俳優としてドラマの中でも圧倒的存在感があります。2003年に日本で公開された「ラストサムライ」で、渡辺謙は政府に反旗を翻す侍、勝元盛次役として出演していました。主役のトム・クルーズ演じるネイサン・オールグレン大尉と共に刀を抜いて侍を絶やそうとする政府軍と戦う姿はまさにラストサムライ。自分の命に代えてでも幕末の世を変え、新しい明治の時代を築いた西郷どんを彷彿とさせます。
 
 昨年、不倫騒動のあった斉藤由貴さんがキャストで選ばれていたのですが、スキャンダルを嫌うNHKでは斉藤由貴さんの出演はNGとなりました。しかし、渡辺謙さんも不倫スキャンダルがあったのですが、起用されることに。斉藤由貴さんがNGで渡辺謙さんがOKなのは何故か、NHKは明確に答えを出していませんが、おそらくラストサムライでの西郷イズムを、大河ドラマで主君の島津斉彬公として、西郷どんに伝授するという意図があったのではないでしょうか。この構図を成り立たせるためにスキャンダル嫌いなNHKがそれを顧みずに起用したのだと考えられます。渡辺謙さんもそのNHKの意図を汲み取ったのでしょう。今後の島津斉彬公の熱演に期待です。
 
 最後に、西郷どんの名言をひとつ。
 
 「世のすべての人からけなされても落ち込まず、すべての人から褒められてもうぬぼれるな」
 現在のNHKを西郷どんが見ていたら、このように言ったかもしれませんね。
2018/01/24 08:10:26
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もりけん
『西郷どん』まったく感動を呼ばない展開に視聴率急落…絶好の山場が絶望的なまでに期待外れ・・ネタバレあり
 
 鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第3回が21日に放送され、平均視聴率が14.2%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だったことがわかった。初回、第2回より1.2ポイント低下した。
 
 薩摩藩は日本一武士の割合が多く、その大半は貧しい暮らしを送っていた。西郷家も例外ではなく、吉之助(鈴木)は父・吉兵衛(風間杜夫)とともに商家から百両もの大金を借り入れた。一方、江戸にいた島津斉彬(渡辺謙)は薩摩藩を改革すべく、藩主である父・斉興(鹿賀丈史)の不正を幕府に訴え出た。老中・阿部正弘(藤木直人)は薩摩藩の家老・調所広郷(竜雷太)を呼び出すが、すべて自分の独断であり、斉興はあずかり知らぬことだと言い張る広郷の前になすすべがなかった。広郷はその日のうちに自害してしまうが、怒り狂った斉興は、斉彬派とみなした者たち総勢50名に切腹や島流しなどの沙汰を下した――という展開だった。
 
 今回描かれたのは、薩摩藩を大きく揺るがしたお家騒動「お由羅騒動」の顛末。序盤の山場として骨太な展開が期待されたが、まったくの期待外れ。伏線や積み重ねがないままに登場人物たちが動いているため、行動にも展開にも説得力や必然性がなく、見ていても感情がまったく動かされない。淡々と再現VTRを見ているようで、およそドラマとは言い難い。
 
 たとえば、この事件が「お由羅騒動」と呼ばれたことは視聴者に伝えられるのに、なぜそう呼ばれるようになったのかはドラマを観てもさっぱりわからない。最低限、由羅(小柳ルミ子)が斉興をいいように操っていたという伏線を描き、視聴者に「悪女」のイメージを植え付けておかなければならないのに、これまでにほとんどそうした描写はなかった。
 
 また、お由羅騒動は斉彬支持派と久光(青木崇高)支持派による跡目争いの側面が強かったとされるのに、脚本の中園ミホ氏はこれをほぼ完全スルー。その一方でナレーションの西田敏行には「総勢50人もの斉彬派が処罰された」との台詞を当てたが、今まで登場したこともない「斉彬派」が切腹させられたと急に言われても、なんの感情も動かされない。「はあ、そうですか」と思うばかりである。
 
 藩主の嫡男が父の罪状を幕府に言い立てるという大事件と、藩主の跡目争いが同時に勃発しているのだから、いくらでも盛り上げようがあるはずだ。さまざまな思惑が入り乱れる虚々実々の駆け引きをじっくり描けば、かなりおもしろい歴史劇になったに違いない。だが、実際には大河ドラマとして格好の題材を掘り下げることなく、あっさりと表面的に描いただけで終わらせてしまった。
 
 脚本の中園氏は『西郷どん』に関するインタビューの中で「(私は)歴史ものに強いわけではありません」と明言したことがある。そうは言っても、きっちり描いてくれるだろうと期待していたが、やはり苦手なものは苦手だったのだろう。歴史上のできごとをなるべく簡単な構図にし、関わる人間も最小限にとどめてさっさと終わらせようという意図が感じられる。
 
 その一方で、吉之助が熊吉(塚地武雅)の母に米俵を送ったというさほど重要でない場面には尺を割き、「あいがとなあ」と涙を流さんばかりに感謝する熊吉の母を延々と映し出す。ある意味、本作の目指す方向性が視聴者に向けて明確に打ち出された回であったことは間違いない。もちろん、この方向性が視聴者に支持される可能性も大いにある。今後の展開を引き続き見守りたい。
 
2018/01/24 06:27:03
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もりけん
センター試験 「ムーミンの舞台はフィンランドではなくムーミン谷」 ネット上で「出題ミス」の指摘相次ぐ
 大学入試センター試験で「ムーミン」の舞台についてフィンランドを正答とする問題が出題されたことについて、ネット上では「ムーミンの舞台はムーミン谷という架空の場所。そこがフィンランドという説明は作品にないはず」として、出題ミスを指摘する書き込みが相次いでいる。
 
 ムーミンが取り上げられたのは、センター試験1日目の13日の地理Bの問題。スウェーデンのアニメ「ニルスのふしぎな旅」とスウェーデン語の組み合わせが示され、「ノルウェーとフィンランドを舞台にしたアニメ」としてムーミンと「小さなバイキングビッケ」のどちらがノルウェーでどちらがフィンランドかを選ぶよう求めた。
 
 ムーミンは、スウェーデン系フィンランド人の作家、トーベ・ヤンソン(1914〜2001年)によってスウェーデン語で書かれた。「フィンランドの作品」として認知されているが、「フィンランドが舞台」かどうかは不明だ。
 
 スウェーデン大使館のフェイスブックには「ムーミン谷のモデルになったのは、ヤンソン一家が夏の日々を過ごしたスウェーデン群島にあるブリード島です」との記述もある。
 
 ツイッターでは「ムーミンの舞台はフィンランドじゃなくてムーミン谷」「ムーミン谷はムーミン谷であって、作者の出身地と同じということはどこにも確証がなく。センター試験レベルでも、未だに作品と作者を同一軸で見る、テクストの外側の作家作品論がまかり通っている、それこそが問題だわ」「全員正解とすべきだ」などのつぶやきがされている。
 
 一方、ムーミン公式サイトのツイッターは「ムーミンの舞台はフィンランドかノルウェーか…という問題がセンター試験で出てお怒りのみなさんも多いようで…。まだまだ知られてないんだな、と反省」などと反応したものの、ムーミン谷がどこの国かについては明言を避けている。
 
 ムーミンをめぐる問題の配点は100点満点中の3点。大学入試センターの対応が注目される。
 
2018/01/15 10:54:37
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もりけん
ネタバレ満載です(笑)
2018/01/09 06:35:04
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もりけん
大河『西郷どん』薩摩弁難しく内容理解不能…鈴木亮平は配役ミス、ドラマも期待外れ
今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』の第1話が7日、放送された。舞台は1840年の薩摩藩で、第1話では西郷隆盛の少年時代が描かれた。
 
 小吉(のちの西郷)は仲間たちと“お菓子”を盗むために薩摩藩主の別邸に忍び込むが、見つかってしまい逃走中、すすまみれになって砲撃を開発中の天狗のような出で立ちの男(渡辺謙)に出会い、「お前は一番幼い仲間を見捨てて逃げた。弱い者の身になれん奴は、弱い者以下のクズだ。そういう奴のことを、薩摩では“やっせんぼ”って言うのだ」と叱責される。その晩、自宅で小吉は家族を前にして「おいは、自分より弱か者を守りとうございます。そんために、もっと強くなりたか」と宣言する。
 
 そして後日、妙円寺詣りで小吉たちの郷中が一番となり褒美の餅を頬張っていると、薩摩藩主・島津成興(鹿賀丈史)の子、島津久光(青木崇高)が馬に乗って現れ、一同が地面に正座し頭を下げる。そして、なんと久光の後ろには先日出会った“天狗男”が甲をかぶり立っており、その男が藩主の“お世継ぎ様”島津斉彬であることを小吉は知る。
 
 斉彬の魅力に引かれた小吉は、将来斉彬の“お側に仕える”ことを決心し、ますます剣術の稽古に精を出していたが、道中で襲ってきた相手と格闘中に真剣で肩に大きな傷を負い、武士であるにもかかわらず一生刀を振れない体となってしまう。
 
 絶望して林の中で泣いていると、狩りをしていた斉彬に再び遭遇。小吉は「おいは、いつか斉彬様のお側で忠義を尽くしとうございます。じゃっと、こん右手で二度と刀を持てなくなりました」と訴える。すると斉彬は、「死んではならん。侍が重い刀を2本も差してふんぞり返る時代は終わるんだ。これからは弱き者の声を聞き、民のために尽くせる者のみが真の強い侍となる。お前はそういう侍となればよい」と言い残し、去っていく。そして小吉はますます将来斉彬に仕える決心を強くするところまでが放送された。
 
●致命的欠点
 
 第1話を見た感想としては、ほぼ全編にわたり小吉の少年時代が描かれていたが、川で子ども同士がケンカをしたり、藩主の別邸に忍び込んだりと、どうでもよいシーンを延々見させられ、肩透かしをくらったという印象だ。多くの部分が子どもたちが走り回ったりケンカをするシーンで占められ、“間延び感”は否めず、せっかく明治維新というドラマチックな史実を扱うのだから、興味深い歴史的トピックと関連付けて見せるなど「ほかにやりようはなかったのか……」と期待外れに感じた。
 
 また、小吉の家は下級武士という設定なのだが、両親も祖母もみんな優しく和気あいあいとしていて、“現代のマイホーム”感ありありなのにも疑問を感じた。青木崇高や沢村一樹(赤山靭負)らほかの俳優陣も、セリフ回しや佇まいが完全に“現代の連ドラ”で、「え? 大河って、こんな感じだっけ?」と雰囲気をぶち壊している(そのため、渡辺謙や鹿賀丈史の大河感がハンパなく際立っていた。渡辺の乗馬スキルとかスゴすぎだし。そういえば、開始早々から『なんでナレーションが西田敏行なんだろう』ってずっと考えていたのだが、鹿賀と西田が主演し、同じく明治維新を舞台とする28年前に放送された大河『翔ぶが如く』へのオマージュだったのね。『翔ぶが如く』は面白かった)。
 
 そしてなんといっても“雰囲気をぶち壊している”トップが、主役の西郷を演じる鈴木亮平だ。第1話では少しだけの登場となったが、鈴木がいつも民放の連ドラで見せる爽やかな笑顔を振りまきながら野を駆け抜ける鈴木の姿には、「いったい彼をどう西郷隆盛だと思えばいいんだ……」という違和感しかない。やっぱり、西郷に鈴木を配したのはミスキャストではないだろうか。
 
 このほかにも、登場人物たちが話す薩摩弁のセリフが難しすぎて、いったい何を言っているのか全然わからないシーンが多く、全体のストーリーが追えないというのは致命的な欠点ではないだろうか。これには早くもインターネット上で「字幕必須」「何言ってるか、わかんない」などと批判の声が上がっている。
 
 そんなこんなで、今後に不安が残る第1話だったといえるのではないか。そして28年前に『翔ぶが如く』で大久保利通と西郷を演じた鹿賀と西田は、どんな感想を抱いているのかも気になるところだ。
(文=米倉奈津子/ライター)
2018/01/09 06:33:34
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もりけん
スーパームーン、新年の夜空で凛とした美しさ
 地球から最も大きい満月が見える「スーパームーン」が新年早々2日未明、各地で観測された。
 
 米航空宇宙局(NASA)の発表によると、2018年初のスーパームーンの日は日本時間1月2日で、月が地球から356,565キロの距離まで最接近する。昨年7月27日の「最小の満月」に比べ、見た目の直径が14%大きく、30%明るく見えるという。
 
 スーパームーン現象は通常、約13ヶ月ごとに起きている。昨年11月30日のNASAの「スーパームーンの三部作」と題した発表によると、今回は昨年12月3日と今年1月2日と2月1日に、2ヶ月連続で3回のスーパームーンの満月が見える。
  
 特に2月1日には東アジアや北米西部で、満月が地球の影に隠れる皆既月食が起こる。そのときは、地球の影に入る満月は大気によって屈折した赤い光に照らされ、ぼんやりとした暗い赤色(赤銅色)に見える「ブラッドムーン」(血の月)となる。
 
 2月1日は数年に一度の「ブルームーン」の日でもある。ひと月に満月が2回巡ることをブルームーンと(Blue Moon)と呼ぶ。前回に現れたのは2015年7月31日だった。
 
 
森田が撮影したもの
2018/01/03 18:37:12
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もりけん
しかし襟巻きを外に出すって
ベボな男がやると似合わないよね(爆)
2017/12/27 08:38:43
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もりけん
きょうは貴乃花親方みたいに
キメていこうか?(爆)
 
キングカズも強敵だ・・・(笑)
2017/12/27 08:31:39
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もりけん
>何なんだ、あのテレビを置く台は?(爆)
 
普通の台じゃイケマセンか?(笑)
2017/12/19 06:56:44
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もりけん
何なんだ、あのテレビを置く台は?(爆)
2017/12/19 06:55:56
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